オマー・シメオン

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オマー・ビクター・シメオン (Omer Victor Simeon1902年7月21日 - 1959年9月17日) はアメリカジャズクラリネット奏者。彼は、ソプラノ・アルト・バリトンサックスバスクラリネットも演奏した。

来歴・人物[編集]

オマー・シメオンはルイジアナ州ニューオーリンズ葉巻製造者の息子として生まれる。彼の家族は、イリノイ州シカゴへと引っ越した。彼はニューオーリンズの名人ロレンゾ・ティオ・ジュニアからクラリネットを学び、1920年にプロの奏者として活動を始めた。

彼はシカゴとウィスコンシン州ミルウォーキーで様々なバンドとともに活動を行い、その中にはジミー・ベルによるバンド、チャーリー・エルガーによるクレオール・オーケストラがあった。1926年ジェリー・ロール・モートンと演奏を始め、モートンのレッド・ホット・ペッパーズや小規模のグループとともに、高い評価を受けたレコーディングシリーズを作った。シメオンは、音楽の教師も行った。1927年に彼はキング・オリバーのディキシー・シンコペーターズに加入し、ともにニューヨークへと移った。その後、エルガーとともにシカゴに戻った後、マンハッタンルイス・ラッセルと合流し、1928年アースキン・テイト・オーケストラで演奏するために再度シカゴに戻った。

彼は1940年代コールマン・ホーキンスジミー・ランスフォードのバンドで仕事をした。キッド・オリーのバンドとともにいくつかのレコーディング活動をした後、1950年代ウィルバー・ド・パリのバンドとの活動で、1957年のアフリカのツアーも含め、彼は最も疲労することになった。

オマー・シメオンは、咽喉のためにニューヨークで亡くなった。

シメオンは、滑らかなトーンと素晴らしい旋律の即興で有名だった。伝統的なニューオーリンズのクレオール・スタイルの最高の提唱者の1人である。ジェリー・ロール・モートンは、彼を最高のジャズクラリネット奏者と評価した。

外部リンク[編集]