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エドゥアルト・ブフナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エドゥアルト・ブフナー
Eduard Buchner
生誕 (1860-05-20) 1860年5月20日
バイエルン王国の旗 バイエルン王国 ミュンヘン
死没 1917年8月13日(1917-08-13)(57歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国 バイエルン王国の旗 バイエルン王国 ミュンヘン
国籍 ドイツの旗 ドイツ帝国
研究分野 生化学
研究機関 ベルリン大学
ミュンヘン大学
出身校 ミュンヘン大学
博士課程
指導教員
オットー・フィッシャー
アドルフ・フォン・バイヤー
主な業績 無細胞的発酵の発見
主な受賞歴 ノーベル化学賞 (1907)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1907年
受賞部門:ノーベル化学賞
受賞理由:化学・生物学的諸研究および無細胞的発酵の発見

エドゥアルト・ブフナー(Eduard Buchner, 1860年5月20日 - 1917年8月13日)は、ドイツ化学者発酵学者。発酵の化学・生物学的諸研究により、1907年ノーベル化学賞を受賞した。

生涯

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医者法医学の臨時講師の息子としてミュンヘンで生まれた。兄ハンス・ブフナー英語版1850年 - 1902年)は後に細菌学者となった[1]。1884年にミュンヘンの植物学研究所でアドルフ・フォン・バイヤーの元で化学を、カール・ネーゲリの元で植物学の研究を始めた。エアランゲンでのオットー・フィッシャーと共同研究の後、1888年にミュンヘン大学から博士号を授与された。

1896年からチュービンゲン大学助教授、1898年からベルリン農業大学(現ベルリン大学)教授、1909年からブレスロウ大学生化学科教授、1911年にヴュルツブルク大学教授を歴任した。

研究

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1885年、テオドール・クルチウスと共にブフナー反応英語版を発見した。これは、ジアゾエステルベンゼンと反応させるとシクロプロパベンゼン誘導体を経てベンゼン環が環拡大するというものである。

1896年、兄のハンスによる抗毒素の研究の予備実験として、酵母を砂(石英珪藻土)とともに乳鉢ですり潰し、濾過した上で保存用にショ糖を加えたところ、発酵(二酸化炭素の発生)が起こるのを発見。顕微鏡で観察しても、その中には生きた酵母は全く存在しなかった。ブフナーは酵母が生産した何らかのたんぱく質が発酵を起こすと考え、その物質をチマーゼと命名した。これは後に酵素と呼ばれることになる。この発見がノーベル賞受賞につながった。発酵に生きた酵母が不要であることを示したことで、生気説に打撃を与えた。

ブフナー漏斗やそれに関連した吸引ビン(ブフナーフラスコ)はブフナーの発明と誤解されることもあるが、実際には別の化学者エルンスト・ビューヒナーの名を冠したものである[2]

1905年リービッヒ・メダル受賞。1907年生化学の研究と無細胞での発酵の発見により、ノーベル化学賞を受賞した。

私生活と死

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1900年にロッテ・シュタールと結婚した。第一次世界大戦に際し、少佐としてルーマニアフォクシャニの最前線の野戦病院に勤務したが、マラシェシュティの戦い英語版の最中の1917年8月11日に砲弾の破片を受けて重傷を負い、2日後にフォクシャニの野戦病院で死去。フォクシャニのドイツ兵士墓地に埋葬された。

論文

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脚注・出典

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参考文献

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  • Robert Kohler (1971). “The background to Eduard Buchner's discovery of cell-free fermentation”. Journal of the History of Biology 4 (1): 35–61. doi:10.1007/BF00356976. 
  • Robert Kohler (1972). “The reception of Eduard Buchner's discovery of cell-free fermentation”. Journal of the History of Biology 5 (2): 327–353. doi:10.1007/BF00346663. PMID 11610124. 

外部リンク

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