ウィリアム・フレデリック (グロスター=エディンバラ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
ウィリアム・フレデリック
William Frederick
2ndDukeOfGloucester.jpg
称号 グロスター・エディンバラ公
出生 (1776-01-15) 1776年1月15日
ローマ
死去 (1834-11-30) 1834年11月30日(58歳没)
イギリスの旗 イギリスサリー、バグショット・パーク
埋葬  
イギリスの旗 イギリスウィンザー城、聖ジョージ礼拝堂
配偶者 メアリー王女
父親 グロスターエディンバラ公ウィリアム
母親 マリア・ウォルポール
テンプレートを表示

グロスター=エディンバラ公ウィリアム・フレデリック(William Frederick, Duke of Gloucester and Edinburgh, 1776年1月15日 - 1834年11月30日)は、イギリスの王族。

生涯[編集]

グロスター及びエディンバラ公ウィリアムと、妃マリア・ウォルポールの第3子として、ローマで生まれた。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学んだ。

1816年7月、ジョージ3世の王女で従妹にあたるメアリー王女と、セント・ジェームズ宮殿で結婚した。ウィリアムは、従兄であるプリンス・オブ・ウェールズジョージの一人娘で王位継承予定者であるシャーロットに相応な結婚相手が外国王族から見つからなかった場合、自らが花婿候補となろうと独身を維持してきた。しかしシャーロットがレオポルト・フォン・ザクセン=コーブルク(のちの初代ベルギー王)と結婚したため、メアリー王女との結婚を選択した。ウィリアム夫妻はバグショット・パークを住まいとした。40歳を過ぎて結婚した夫妻に子供はできなかった。

ウィリアムは王族として積極的に活動した。彼は上院に出席し、当時の大きな問題に投票した。彼は奴隷制度廃止の提唱者であり、ジョージ4世と対立する王妃キャロライン・オブ・ブランズウィックサセックス公オーガスタスの支持者であった。