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アンナ・アマーリア・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンナ・アマーリア
Anna Amalia
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公妃

出生 (1739-10-24) 1739年10月24日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領、ヴォルフェンビュッテル
死去 (1807-04-10) 1807年4月10日(67歳没)
ザクセン=ヴァイマル公国、ヴァイマル
配偶者 エルンスト・アウグスト2世
子女 カール・アウグスト
フリードリヒ・フェルディナント・コンスタンティン
家名 ブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン家
父親 カール1世
母親 フィリッピーネ・シャルロッテ・フォン・プロイセン
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アンナ・アマーリア・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル(ドイツ語: Anna Amalia von Braunschweig-Wolfenbüttel, 1739年10月24日 - 1807年4月10日)は、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世の妃。

生涯

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ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール1世と妃フィリッピーネ・シャルロッテ(プロイセン王フリードリヒ2世の妹)の娘として、ヴォルフェンビュッテル(現在のニーダーザクセン州)で生まれた。兄はプロイセン元帥として知られるカール・ヴィルヘルム・フェルディナント。

1756年3月16日、エルンスト・アウグストと結婚。しかしわずか2年後に夫は死去し、彼女は身重の体で、長男カール・アウグストの摂政をつとめることになった。同年、次男フリードリヒ・フェルディナント・コンスタンティンを出産。

七年戦争という一大事にもよく公国の舵をとり、カール・アウグストが成人した1775年に摂政を辞した。芸術のパトロンとして知られ、作曲をする才女だった。彼女は、ヘルダー、ゲーテ、シラーらをヴァイマルへ招聘した。幼い公の教師をつとめたのは、シェイクスピアのドイツ語翻訳者で詩人のヴィーラントであった。アンナ・アマーリアは、85万冊もの蔵書をもつ『アンナ・アマーリア公妃図書館』を創設した。

子女

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外部リンク

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アンナ・アマーリア・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
ヴェルフ家分家

1739年10月24日 - 1807年4月10日

ドイツの君主
空位
最後の在位者
ゾフィー・シャルロッテ・フォン・ブランデンブルク=バイロイト
ザクセン=ヴァイマル公妃
1756年3月16日 – 1758年5月28日
空位
次代の在位者
ルイーゼ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
ザクセン=アイゼナハ公妃
1756年3月16日 – 1758年5月28日