アルマ・グルック

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アルマ・グルック

アルマ・グルック(Alma Gluck、1884年5月11日 - 1938年10月27日)は、ルーマニア出身のソプラノ歌手ユダヤ系

ドイツで活動した後、アメリカ合衆国に移住、オペラ歌手として華々しい成功をとげた。レオポルト・アウアー門下の名ヴァイオリニストエフレム・ジンバリストと結婚し、2児をもうけ、内臓疾患により急逝するまで穏やかな家庭生活を築いた。息子エフレム・ジンバリスト・ジュニアはアメリカ国内では有名なテレビ俳優で、孫ステファニーは世界的に人気の美人女優となった。

略歴[編集]

グルックはルーマニアブカレストで、ユダヤ人の家族の下で生まれた[1]。グルックは若い頃にアメリカ合衆国へ移り住み、ニューヨークメトロポリタン歌劇場で最初の成功を掴み、レコーディング・アーティストとしてアメリカ内を広く演奏会を開いた。グルックが録音したレコード「なつかしのヴァージニア」(Carry Me Back to Old Virginny) は、クラシック音楽家としては初めてとなる 100万枚以上のセールスを記録した。

グルックの娘である女優のマーシャ・ダヴェンポートは、初婚の相手である歯科医との子供である。グルックは後にヴァイオリニストエフレム・ジンバリストと再婚し、エフレム・ジンバリスト・ジュニアら 2人の子供をもうけた。

グルックは、1925年に家族とコネチカット州ニューハートフォードで過ごすため引退した。グルックは自分が民族的にユダヤ人であると思い続けていたが、キリスト教米国聖公会に夫のエフレムと惹きつけられているのを感じ、定期的に家族でニューハートフォードの教会へ行くようになった。エフレム・ジュニアらはそこで洗礼を受け、夫婦はニューハンプシャー州ボーディングスクールに資金を提供した。エフレム・ジュニアは福音主義のサークルで活動し、後にトリニティ放送ネットワークの創設者の一人となった[2][3][4][5]。グルックはルイーズ・ホーマーとのデュエットで、賛美歌の「ちとせの岩よ[6]、「希望のささやき[7]、「なつかしくも浮かぶ思い[8]、「我が魂を 愛するイェスよ[9]などを録音した。

アルマ・グルックは、ニューヨークで肝不全のため 54歳で死去した。

出演オペラ[編集]

脚注[編集]