アルヌール2世 (フランドル伯)
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| アルヌール2世 Arnoul II | |
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| フランドル伯 | |
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| 在位 | 965年 - 987年 |
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| 出生 |
960/1年 |
| 死去 |
987年3月30日 |
| 配偶者 | ロザーラ・ディタリー |
| 子女 |
ボードゥアン4世 マティルデ |
| 家名 | フランドル家 |
| 父親 | ボードゥアン3世 |
| 母親 | マティルデ・ビルング |
アルヌール2世(Arnoul II, 960/1年 - 987年3月30日)は、フランドル伯(在位:965年 - 987年)。
生涯
[編集]アルヌール2世はボードゥアン3世とザクセン公ヘルマン・ビルングの娘マティルデとの間の息子である[1][2]。父ボードゥアン3世は962年に死去し、そのときアルヌール2世は幼年であったが、祖父アルヌール1世は生存していた[2]。3年後の965年にアルヌール1世が死去し、親族のボードゥアン・バルソが摂政となったが、ボードゥアン・バルソも973年に死去した[3]。
976年にアルヌール2世が成年に達するまでに、フランドルはアルヌール1世が手に入れた南部の領地のいくつかを失っていた[3]。アルヌール1世はすでに孫の継承を保証するため、西フランク王ロテールにピカルディーのいくつかの領地をすでに差し出しており、他の親族にもブーローニュを領地として与えていた[3]。そして、アルヌール2世の治世の始めに、ロテールはポンティウを取り上げてユーグ・カペーに与えており、ギーヌ伯領も成立していた[3]。アルヌール2世は987年3月30日に26歳で死去した[4]。その後まもなくして妃ロザーラ・ディタリーはフランス王ロベール2世と再婚した[4]。
家族
[編集]脚注
[編集]- ↑ Nicholas 1992, p. 42.
- 1 2 3 Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge, Band II (Verlag von J. A. Stargardt, Marburg, Germany, 1984), Tafel 5
- 1 2 3 4 Jean Dunbabin, France in the Making, 843–1180, Second Edition (Oxford University Press, 2005), p. 73
- 1 2 Frederick Lewis Weis, Ancestral Roots of Certain American Colonists, Who Came To America before 1700, Seventh Edition (Genealogical Publishing Co., Inc., 1993), Line 162-20
- 1 2 Nicholas 1992, p. 44.
参考文献
[編集]- Nicholas, David (1992). Medieval Flanders. Longman
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