アルカジー・グカシャン

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アルカジー・グカシャン
Արկադի Ղուկասյա

任期 1997年9月8日 – 2007年9月7日

ナゴルノ・カラバフ共和国の旗 ナゴルノ・カラバフ共和国
初代外務大臣
任期 1993年7月 – 1997年9月
元首 ロベルト・コチャリャン

出生 1957年6月22日(59歳)
Flag of the Azerbaijan Soviet Socialist Republic.svg アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国ナゴルノ・カラバフ自治州ステパナケルト
政党 無所属

アルカジー・グカシャンアルメニア語: Արկադի Ղուկասյա1957年6月22日 - )は、事実上独立した「ナゴルノ・カラバフ共和国」の政治家。初代外相および第2代大統領を務めた。

経歴[編集]

1957年6月22日アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国領内ナゴルノ・カラバフ自治州の州都ステパナケルトに生まれ、1979年エレバン国立大学英語版のロシア語・文学部を卒業した[1]1981年から『ソヴェタカン・カラバフロシア語版』紙の副編集長となり、翌1990年1月にバクーで発生したアルメニア人襲撃事件(バクー事件英語版)についての告発記事を発表したことにより当局に拘束された[1]。そして、その後も幾度となく自宅軟禁に処せられた[1]

1992年に招集された第1期「ナゴルノ・カラバフ共和国」議会に代議員として選出された[1]。同年9月には国家防衛委員会議長顧問に任命され、OSCEミンスク・グループ英語版の調停のもと、ナゴルノ・カラバフ戦争停戦交渉のナゴルノ・カラバフ共和国側代表として働いた[1]1993年7月にナゴルノ・カラバフ共和国外務省が創設されると、その初代外務相となった[1]

1997年9月の大統領選挙においては無所属で立候補し、89.31パーセントの投票を得て大統領に選出され、同月8日に就任した[2]。同時にナゴルノ・カラバフ国防軍司令官および国家保安庁長官にも就任し、さらに2002年8月11日の選挙でも、88.95パーセントの得票率で大統領に再選された[2]。しかし、同年3月22日には、かねてから対立関係にあった元国防相のサムヴェル・ババヤン英語版が企てた暗殺未遂事件によって負傷した[3]。さらに同年12月には、アゼルバイジャン外相のヴィラヤト・グリエフ英語版が、グカシャンを「アゼルバイジャンからの分離独立主義者」として国際手配する考えを明らかにしている[4]

2006年12月にナゴルノ・カラバフ共和国憲法は改正され、以降の大統領の3選は禁じられた[2]。憲法改正以前から大統領であったグカシャンにはこの3選禁止規定は適応されておらず、また3期目を望む国民の声も多かった[2]。しかし、グカシャンはナゴルノ・カラバフが民主国家であるという印象を国際社会に持たせるため、次期大統領選挙への出馬を辞退した[2]2007年9月7日、大統領職は国家安全保障局長官であったバコ・サハキャンへと譲られた[2]

脚注[編集]

公職
先代:
レオナルド・ペトロシャン英語版(代行)
ナゴルノ・カラバフ共和国の旗 ナゴルノ・カラバフ共和国大統領
1997年9月8日 - 2007年9月7日
次代:
バコ・サハキャン
先代:
なし
ナゴルノ・カラバフ共和国の旗 ナゴルノ・カラバフ共和国外務大臣
1993年7月 - 1997年9月
次代:
ナイラ・メルクミャン