アメリー=レ=バン=パラルダ

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Amélie-les-Bains-Palalda


地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オクシタニー地域圏
(département) ピレネー=オリアンタル県
(arrondissement) セレ郡
小郡 (canton) アルル=シュル=テック小郡
INSEEコード 66003
郵便番号 66110
市長任期 アレクサンドル・レナル
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Haut Vallespir
人口動態
人口 3 702人
2010年
人口密度 126人/km2
住民の呼称 Améliens, Améliennes et Palaldéens, Palaldéennes
地理
座標 北緯42度28分34秒 東経2度40分21秒 / 北緯42.4761111111度 東経2.6725度 / 42.4761111111; 2.6725座標: 北緯42度28分34秒 東経2度40分21秒 / 北緯42.4761111111度 東経2.6725度 / 42.4761111111; 2.6725
標高 最低:176m
最高:1424m
面積 29.43km2
Amélie-les-Bains-Palaldaの位置(フランス内)
Amélie-les-Bains-Palalda
Amélie-les-Bains-Palalda
公式サイト Site officiel de la commune
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アメリー=レ=バン=パラルダAmélie-les-Bains-Palaldaカタルーニャ語:Els Banys d'ArlesまたはPalaldà/Palaudà[1])は、フランスオクシタニー地域圏ピレネー=オリアンタル県コミューン

地理[編集]

アメリー=レ=バン=パラルダは、バンとパラルダの2つの地区に分かれる。セレの西方、ヴァルスピール地方にあるまちはテック川の渓谷に位置する。温泉町であり、夏と冬に賑わう。

交通[編集]

県道115号線が通じる。この道路は県沿岸平野とまちとをつなぐより良いコミュニケーションのため今後10年で開発される必要がある。1940年の洪水で破壊されるまで、まちには鉄道が通っていた。

歴史[編集]

2006年、古い温泉跡であるAquae Calidaeの発掘作業中、後期青銅器時代に遡る定住地と墓地が発見された[2]

レ・バン[編集]

鉄器時代から人が定住している。1940年の洪水後に発見された片麻岩の塊に、鉄器時代の人間が刻んだ跡があった。ここにはバン・ダルル(Bains d'Arles)という古代から使われてきた温泉があった。ローマ人は浴場を建設し、ここには小さなアーチ型天井の部屋や小さなプールが備わっていた。

8世紀、おそらく古代の温泉の敷地内に修道院がこの地につくられた。しかし、9世紀のノルマン人の襲撃が修道士たちをアルル=シュル=テックに移動させることにつながった。この修道院は今も存続する。

1237年に修道院がアルル=シュル=テックへ移動するまで、バンは修道院に依存していた。1670年には、温泉より上の場所にスペイン国境からの脅威に備え砦が築かれた。まちはフォール=レ=バン(現在は砦そのものの名前)と呼ばれた。

1840年4月7日、フランス王ルイ=フィリップは王妃マリー・アメリー・ド・ブルボンにちなみまちの名をアメリー=レ=バンとした。

パラルダ[編集]

フランス革命まで、パラルダはPalaudàと呼ばれていた。パラウダとは「邸宅」を意味した。実際、多くの邸宅が周辺地方に存在していた。パラルダは9世紀に初めて名前に言及されている。領主権はいくつかの家系の手に渡った。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2010年
2964 3662 3908 3713 3239 3475 3656 3702

脚注[編集]

  1. ^ カタルーニャ語Institut d’Estudis Catalans, Université de Perpignan, Nomenclàtor toponímic de la Catalunya del Nord, Barcelone,‎ (lire en ligne)
  2. ^ Inrap rapport d'activité 2006 page 23