アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ
Amalie von Sachsen-Coburg und Gotha
Princess Amalie of Saxe-Coburg and Gotha.jpg
出生 (1848-10-23) 1848年10月23日
War ensign of the German Empire Navy 1848-1852.svg ドイツ連邦コーブルク
死去 (1894-05-06) 1894年5月6日(45歳没)
バイエルン王国の旗 バイエルン王国ミュンヘン
配偶者 バイエルン公マックス・エマヌエル
子女 一覧参照
父親 ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アウグスト
母親 クレマンティーヌ・ドルレアン
テンプレートを表示

マリー・ルイーゼ・フランツィスカ・アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータドイツ語: Marie Luise Franziska Amalie von Sachsen-Coburg und Gotha, 1848年10月23日 - 1894年5月6日)は、ザクセン=コーブルク=ゴータ家カトリック系の分家コハーリ侯爵家の公女で、バイエルン公マックス・エマヌエルの妻。

生涯[編集]

ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アウグストと、その妻でフランス王ルイ・フィリップの娘であるクレマンティーヌ・ドルレアンの次女として生まれた。弟にブルガリア王フェルディナンド1世がいる。

結婚適齢期になると、バイエルン王子レオポルトとの縁談が持ち上がった。ところが、レオポルト王子の親類でオーストリア皇后エリーザベトの弟マックス・エマヌエルがアマーリエに一目ぼれし、間に割り込んでくる事態となった。複雑な三角関係は、オーストリア皇后の采配で円満な解決をみた。皇后エリーザベトはレオポルトをゲデレーに招き、自分の娘ギーゼラ大公女と見合いをさせた。オーストリア皇帝の娘婿になれるチャンスを逃したくないレオポルトはギーゼラに乗り換えた。

1875年9月20日にエーベンタール(現オーストリアニーダーエスターライヒ州ゲンゼルンドルフ郡)においてマックス・エマヌエルと結婚した。夫妻は幸福な家庭生活を送ったが、1893年に夫が急死するとアマーリエは極端に気落ちし、腹膜炎に罹って翌1894年に死去した。45歳だった。

子女[編集]

夫マックス・エマヌエルとの間に3人の息子をもうけた。

外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータに関するカテゴリがあります。