クリストフ・イン・バイエルン

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クリストフ・イン・バイエルン
Christoph in Bayern
ヴィッテルスバッハ家
クリストフ、1910年頃

全名
出生 (1879-04-22) 1879年4月22日
バイエルン王国の旗 バイエルン王国ミュンヘン
死去 (1963-07-10) 1963年7月10日(84歳没)
西ドイツの旗 西ドイツ、ミュンヘン
埋葬 西ドイツの旗 西ドイツミュンヘンミュンヘン森林墓地ドイツ語版
配偶者 アンナ・ジービッヒ
父親 マックス・エマヌエル・イン・バイエルン
母親 アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ
宗教 キリスト教カトリック教会
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クリストフ・イン・バイエルンChristoph Herzog in Bayern, 1879年4月22日 - 1963年7月10日)は、ドイツバイエルン王家の傍系バイエルン公爵家(Herzog in Bayernの公子。

生涯[編集]

バイエルン公マックス・エマヌエルとその妻でザクセン=コーブルク=ゴータ公子アウグストの娘であるアマーリエの間の第2子、次男として生まれた。全名はクリストフ・ヨーゼフ・クレメンス・マリア(Christoph Joseph Klemens Maria)。一家はミュンヘン郊外のビーダーシュタイン城ドイツ語版に住んだので、内々でビーダーシュタイン家(Biedersteiner Linie)と呼ばれていた。1893年に父が急死し、翌1894年に母もその後を追うように病死したため、クリストフは15歳で孤児となった。

父方の伯父カール・テオドールとその妻マリア・ジョゼがクリストフと兄弟を引き取ろうとしたが、母方の祖母クレマンティーヌ・ドルレアンが反対し、3人の孫たちは本家に移らずビーダーシュタインで独立した分家を維持すべきだと主張した。このためクリストフと弟ルイトポルトは母アマーリエの女官マリア・フッガー=グレト伯爵夫人(1859年 - 1936年)[1][2]と城の侍従マックス・フォン・レトヴィッツドイツ語版男爵(詩人オスカー・フォン・レトヴィッツドイツ語版の息子)[3]によって養育された。伯父夫婦は時おりビーダーシュタイン城を訪れて甥たちの様子を監督するに留まった。

1894年に城主となった兄ジークフリートは、1899年の落馬事故で脳に障害が残り、廃人同様となって禁治産宣告を受けた。このためクリストフが兄の代わりにビーダーシュタイン城の当主となった。クリストフの副官にはハンス・フォン・アクスター(Hans von Axster)が任命された[4]

1906年10月27日にバイエルン王国軍第1重騎兵連隊ドイツ語版所属の少尉に任官し、第1次世界大戦従軍時も同連隊に所属していた。1911年10月25日、連隊の同僚で従甥のバイエルン王子ゲオルクと一緒に少佐に昇進している[5]ドイツ革命後、ヴィッテルスバッハ家の人々がバイエルン軍から除隊された際には、中佐の階級で終わっている[6]

ミュンヘンのボーゲンハウゼン地区に建つ、クリストフが住まいとしたヴィラ

1924年5月14日にミュンヘンにおいて、平民女性のアンナ・ジービッヒ(Anna Sibig, 1874年 - 1958年)と結婚した。夫妻は結婚後間もなくビーダーシュタイン城を手放し、ミュンヘン・ボーゲンハウゼンドイツ語版地区シュターンヴァルト通り6番地(Sternwartstraße 6)にヴィラを建てて隠棲した[7]。このヴィラは現在、ミュンヘンの観光名所の1つになっている[8]。1963年に死去し、遺骸は妻の眠るミュンヘン森林墓地ドイツ語版に葬られた。

参考文献[編集]

  • Hermann von Witzleben: Die Herzöge in Bayern, Prestel Verlag, München, 1976, ISBN 3791303945
  • Norbert Nemec: Erzherzogin Maria Annunziata (1876-1961): Die unbekannte Nichte Kaiser Franz Josephs I., Böhlau Verlag Wien, 2010, ISBN 3205784561

脚注[編集]

  1. ^ Webseite mit Epitaph der Gräfin Maria Fugger-Glött
  2. ^ Maria Gräfin Fugger-Glött/Blumenthal(1859-1936),Genealogy.euweb.Fugger3.
  3. ^ Friedrich Wolf: François de Cuvilliés, Bände 87-89, Band 89 von: Oberbayerisches Archiv, 1967, Seiten 40 und 41; Ausschnittscans aus der Quelle
  4. ^ München und die Münchener: Leute, Dinge, Sitten, Winke, München, 1905, Seite 15; Ausschnitt aus der Quelle
  5. ^ Rangliste des deutschen Reichsheeres, 1912, Seite 462; Scan aus der Quelle
  6. ^ Bund Deutscher Offiziere: Ehren-Rangliste des ehemaligen Deutschen Heeres: auf Grund der Ranglisten von 1914 mit den inzwischen eingetretenen Veränderungen, Verlag Mittler, Berlin, 1926, Seite 819; Scan aus der Quelle
  7. ^ Norbert Nemec: Erzherzogin Maria Annunziata (1876-1961): Die unbekannte Nichte Kaiser Franz Josephs I., Böhlau Verlag Wien, 2010, ISBN 3205784561, Seiten 105 und 106; Scans aus der Quelle
  8. ^ Zur Herzoglichen Villa, Sternwartstraße 6

外部リンク[編集]