みなと (唱歌)

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歌碑

みなと(又は)は、日本唱歌

タイトルの『みなと』については、日本音楽著作権協会(JASRAC)の登録名称を採用している。

概要[編集]

1896年(明治29年)に発行された新編教育唱歌集の第三集に収録されている。日本人が作曲した初めての三拍子の曲である。歌の作者及びモデルとなった地域は、有志による調査が始まる1973年昭和48年)までは明らかになっていなかった。

作詞・作曲・歌詞[編集]

後記の調査の結果、作詞旗野十一郎、作曲吉田信太と明らかになった。また、2番の歌詞は元々作られた「林なしたる」の歌い出しの旗野版の他に、林柳波による別バージョン(補作詞)が存在し、林版の方が現在は一般的になっている。JASRACの楽曲管理では、作詞の旗野および作曲の吉田は死去から50年以上過ぎているために著作権が消滅。パブリックドメイン扱いになっている[1]。しかし、補作詞の林は1974年(昭和49年)死去のため、その部分に関しては著作権が存在している[2]

以下の歌詞は、1番・2番とも著作権が消滅した「旗野十一郎」が作詞した歌詞である。

1番
空も港も夜ははれて(そらも みなとも よははれて)
月に数ます船のかげ(つきに かずます ふねのかげ)
端艇の通いにぎやかに(はしけの かよい にぎやかに)
寄せくる波も黄金なり(よせくる なみも こがねなり)
2番
林なしたるほばしらに(はやし なしたる ほばしらに)
花と見まごう船旗章(はなと みまごう ふなじるし)
積荷の歌のにぎわいて(つみにの うたの にぎわいて)
港はいつも春なれや(みなとは いつも はるなれや)

作者判明・碑作成[編集]

1973年(昭和48年)に全日本海員組合の宮城伸三が広島に赴任してきた時に、ある老人の話「みなとは宇品を歌った歌である」を聞き、調査を行った結果宇品の歌である事を確信。作者も、作詞旗野十一郎、作曲吉田信太、補作詞林柳波であることが明らかになった。また、本土と元宇品を結んでいる暁橋(通称・めがね橋)から見た風景を歌っていることもわかった。

そして、1975年(昭和50年)7月21日宇品中央公園(元陸軍船舶司令部跡地)に歌碑が建てられた。形は船の煙突を模した物になり、正面に置かれるは内外運輸(現・シーゲートコーポレーション)が寄贈。宇品小学校・宇品東小学校・元宇品小学校の当時4年生が、1人1文字ずつ歌詞を書き、当時の広島県知事(当時の広島港の港湾管理者でもある)の宮澤弘が、タイトルの「港」の文字を書いた。

その後、広島市内の防災無線で正午に毎日流されるようになった。また、広島市の広報資料などでも取り上げられている。

脚注[編集]

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  1. ^ 旗野十一郎の死去は1908年(明治41年)、吉田信太の死去は1953年(昭和28年)
  2. ^ 著作権に関するデータはJASRACの作品データベース検索サービスにて確認している

参考文献[編集]