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'''玉置 勝彦'''(たまき かつひこ、[[1935年]][[7月30日]] - [[2014年]][[9月21日]])は、日本の[[ヴィオラ奏者]]、[[指揮者]]。 |
'''玉置 勝彦'''(たまき かつひこ、[[1935年]][[7月30日]] - [[2014年]][[9月21日]])は、日本の[[ヴィオラ奏者]]、[[指揮者]]。 |
2014年10月8日 (水) 13:20時点における版
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玉置 勝彦(たまき かつひこ、1935年7月30日 - 2014年9月21日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者。
経歴
- 1960年 東京藝術大学を卒業。東京交響楽団に入団。
- 1962年 東京藝術大学専攻科修了。 同大学講師となる。その後読売日本交響楽団に入団、芸大講師を辞職。独奏、室内楽の分野でも、リサイタル、放送等で活躍。
- 1966年 渡独、ニュルンベルク交響楽団第一主席ヴィオラ奏者となり、その後ニュルンベルク市立歌劇場メンバーとなる。ヴィオラをゲオルク・シュミットに、ヴァイオリンをヴォルフガンク・シュタフォンハーゲンに師事。
- 1970年 東京フィルハーモニー交響楽団首席奏者となる。
- 1973年 同交響楽団を退団。
指揮法を渡邉暁雄に師事し、東京エラート室内管弦楽団、コンソート フィルハーモニック アンサンブル、コンセール21管弦楽団指揮者。また、日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、東京交響楽団、東京メトロポリタン室内アンサンブル等に 客演指揮。この他、東京アマデウス管弦楽団の指導を30年にわたり行った。
一方、ヴァイオリン、ヴィオラの教師として数多くの職業演奏家および アマチュア演奏家の育成に努力している。そのほか、東京大学音楽部管弦楽団を18年に渡って指導した。
- 1992年ウィーン楽友協会主催による東京アマデウス管弦楽団公演をウィーン・ムジークフェラインザールにおいて指揮。
- 1995年、ミュンヘン・ゲルストナープラッツ歌劇場第一コンサートマスター、アルフレッド・ショッパー、 カルルスルーエ歌劇場主席チェリスト、デトマール・テツラフ、東京藝術大学ピアノ科教授、小林仁 (ピアニスト)らと 室内楽グループ「ニュールンベルグ・ムジーク・コレーゲン」を結成。指揮活動と平行し、ヴィオラ奏者 としての演奏活動に復帰、国内演奏旅行で各地にて公演。この後もドイツ・オーストリア に於ける同グループによる演奏旅行や、 お茶の水のカザルスホールでの演奏会と続けて好評を博している。
1991年9月よりコンセール21管弦楽団 音楽監督に就任。