鮑観澄
鮑観澄 | |
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『満洲國承認記念写真帖』(1932年) | |
プロフィール | |
出生: | 1898年(清光緒23年) |
死去: | 1975年? |
出身地: | 清江蘇省鎮江府 |
職業: | 政治家・外交官 |
各種表記 | |
繁体字: | 鮑觀澄 |
簡体字: | 鲍观澄 |
拼音: | Bào Guānchéng |
ラテン字: | Pao Kuan-ch'eng |
和名表記: | ほう かんちょう |
発音転記: | バオ グワンチョン |
鮑 観澄(ほう かんちょう)は中華民国、満州国の政治家・外交官。北京政府、直隷派、奉天派の政治家で、後に満州国に参加した。旧名は啓元。字は冠春。
事跡
国立北洋大学法科を卒業。全国煙酒事務署秘書を経て、直隷派の将軍田維勤の下で総参議をつとめた。奉天派の張作霖が入関してくると、鮑観澄は張配下に転じ、航空署参事に任ぜられた。
ところが鮑観澄は、飛行機購入費用をめぐる汚職事件を引き起こしたため、張の命令で逮捕されてしまう。まもなく、獄卒を買収して逃亡した。1927年(民国16年)、上海電話局局長となっている。
その後、再び北方に戻り、次第に日本軍との結びつきを強めていく。満州国建国後の1932年(大同元年)8月、初代満州国駐日代表に任命された[1]。
満州国滅亡後は、天津へ逃げ込み、さらに故郷の鎮江に隠れ住んだ。中華人民共和国成立後は香港へ逃亡している。
1975年ごろに死去。
注
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。