青木理 (三重県知事)
青木 理(あおき まさる、1902年〈明治35年〉8月9日 - 1967年〈昭和42年〉1月25日)は、初代三重県公選知事(2期)。
経歴
1923年東京帝国大学法科を卒業。理研特殊鋼総務部長、日本兵器車両取締役などを経て、1942年井野碩哉の秘書官になる。翌年実業界に戻り、日本蚕糸近畿中国支社長などを歴任した。戦後の1947年の第1回三重県知事選挙に立候補して当選。初代公選知事となった。1951年にも再選。1955年の知事選では自由党と日本民主党の支援を受けたが、左右社会党の支援を受けた農林省課長の田中覚に敗れた。 1958年の第28回衆議院議員総選挙で三重1区から自由民主党公認で立候補したが落選した。 1967年没。