鏡城郡
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鏡城郡 | |
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位置 | |
各種表記 | |
ハングル: | 경성군 |
漢字: | 鏡城郡 |
発音: | キョンソン=グン |
日本語読み: | きょうじょうぐん |
ローマ字転写: | Kyŏngsŏng kun |
鏡城郡(キョンソンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道に属する郡。李氏朝鮮王朝時代の地方行政の中心地であり、咸鏡道の名も鏡城に由来する。また、朱乙温泉をはじめとする温泉が多い。
地理
日本海沿岸に位置する。北に清津市、南に漁郎郡、西に延社郡と接する。
歴史
植民地期までの鏡城郡は、現在の漁郎郡を含む。
高句麗・渤海を経て女真族の領域となり、高麗との間の抗争の場となった。一時期元の統治下に置かれたこともある。朝鮮王朝初期にこの地は「鏡城」と呼ばれるようになり、この地を治める鏡城都護府使は北道節度使の兼任とされるなど、東北辺境統治上の重要な土地とされた。近代に入っても引き続き咸鏡北道の道庁所在地であった。
郡内の羅南には日本軍第19師団が駐屯し、1920年代には羅南邑に郡庁が移転された。羅南は1940年に清津府に編入される。
年表
- 1398年 - 鏡城と称され、万戸が置かれた。
- 1410年 - 鏡城府が置かれる。
- 1432年7月 - 鏡城都護府に昇格する。
- 1896年 - 鏡城に咸鏡北道観察使が置かれる。
- 1940年3月 - 羅南邑が清津府に編入される。
- 1952年12月 - 漁大津・朱南・朱北・漁郎面が漁郎郡として分離される。
- 1977年1月 - 清津直轄市に編入される。
- 1985年9月 - 清津直轄市の廃止に伴い咸鏡北道所属に戻る。
下部行政区画
1邑15里5労働者区から構成される。中心部はかつての朱乙邑である。
沿革
1945年8月15日時点で鏡城郡は以下の2邑4面から構成されていた。
- 漁大津邑 - 어대진읍【漁大津邑】 (オデジン=ウプ)
- 朱乙邑 - 주을읍【朱乙邑】 (チュウル=ウプ)
- 鏡城面 - 경성면【鏡城面】 (キョンソン=ミョン)
- 漁郎面 - 어랑면【漁郞面】 (オラン=ミョン)
- 朱北面 - 주북면【朱北面】 (チュブク=ミョン)
- 朱南面 - 주남면【朱南面】 (チュナム=ミョン)
交通
産業
温泉や風光明媚な自然で知られ、植民地期には一大観光地であった。
良質の陶土を産し、窯業でも知られる。
観光
清津から西南方へ35km離れた海辺に位置している。朝鮒の有名な陶磁器生産地、休養観光地である。 塩盆革命史跡地 : 鏡城邑から海辺へ4kmの地点にある。
- 朱乙温泉
- 鏡城温泉 : 鏡城邑から2km離れた下温堡里にある。治療用の温泉である。
- 温堡温泉 : 鏡城邑から西北方へ12kmの地点にある。古くからリゾートとして広く知られている。
- 鏡威邑城と鏡城南大門 : 高麗時代に建てられ、李朝時代に改築された古跡。
出身者
- 武亭 - 北朝鮮の軍人、1904年鏡城郡出身。
外部リンク
- (朝鮮語) 咸鏡北道 (以北五道委員会)
- (朝鮮語) 中央日報北韓ネット・北韓地名辞典 鏡城郡