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金寛鎮

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金寛鎮
김관진
(1949-08-27) 1949年8月27日(74歳)
[[ファイル:|200px]]
統合参謀本部議長在任中の金寛鎮
2007年8月16日ピーター・ペースアメリカ軍統合参謀本部
議長
訪韓時の式典にて)
生誕 大韓民国の旗 韓国全羅北道全州市
軍歴 1972 - 2008
最終階級 陸軍大将
勲章 レジオン・オブ・メリット(功労勲章,アメリカ軍)
レジオン・オブ・メリット(トルコ軍[1]
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金寛鎮(キム・グァンジン、朝鮮語: 김관진1949年8月27日 - )は、大韓民国の元軍人。現在、大韓民国国防部長官(第43代)。大韓民国陸軍において野戦部隊や戦略部署などを渡り歩き[2]、野戦戦略通であるとされる[3]

学歴

軍歴

  • 1983年4月 - 第15師団50連隊の2大隊長
  • 1990年9月 - 第26機械化歩兵旅団長
  • 1992年3月 - 統合参謀本部軍事戦略課長
  • 1993年12月 - 大統領室に派遣される
  • 1996年1月 - 教育司戦闘開発部次長
  • 1996年11月 - 陸軍本部陸軍参謀総長秘書室長
  • 1998年4月 - 陸軍本部戦略企画所長
  • 1999年4月 - 第35師団長
  • 2000年10月 - 陸軍本部企画管理参謀部長
  • 2002年10月 - 陸軍第2軍団長
  • 2004年5月 - 統合参謀本部作戦本部長
  • 2005年4月 - 第3軍司令官
  • 2006年11月 - 統合参謀本部議長(第33代、~2008年3月)

大韓民国国防部長官

2010年3月26日に発生した天安沈没事件を受け、国防部長官の金泰栄が辞意を表明。その後も職に留まり残務処理を行ってきたが、同年11月23日に発生した延坪島砲撃事件において韓国軍側の対応に問題があったとして、11月25日に李明博大統領に辞表を提出[4]。一時は李熙元大統領室安保特別補佐官が後継に決まったと報じられたが[5]、すぐに金寛鎮の長官内定が報じられた。国会承認に向けた人事聴聞会では北朝鮮が再度砲撃を行えば空爆も辞さないと発言するなど、強硬姿勢を鮮明にした[6]。同年12月4日に正式就任し、その日のうちに延坪島を訪問した[7]

家族

  • キム・ヨンス夫人と、3人の娘がいる[3]

出典

公職
先代
金泰栄
大韓民国の旗 大韓民国国防部長官
第43代:2010 -
次代
(現職)
軍職
先代
イ・サンヒ
大韓民国の旗 大韓民国国軍統合参謀本部議長
第33代:2006 - 2008
次代
金泰栄