野田信夫

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野田 信夫(のだ のぶお、1893年4月24日 - 1993年4月30日)は、日本経営学者、元成蹊大学学長。

来歴

長野県飯田市生まれ、北海道旭川市育ち[1]旧制北海道立上川中学旧制第一高等学校卒業[1]。1918年(大正7年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業後、1921年に同経済学科を卒業した[2]

同年三菱財閥合資会社に入社する[2]。のち三菱経済研究所研究員となり、東京帝国大学工学部の講師も務めた[2]。1946年(昭和21年)に三菱重工業企画室調査役となるが、翌1947年(昭和22年)に政府の経済安定本部に迎えられ生産局長となる[2]物価庁次長(1948年)を経て、1949年には経済安定本部副長官を務めた[2][3]

1949年に成蹊大学政治経済学部教授となり、1958年から1969年まで学長を務めた[2][3]。1969年に退職、名誉教授となる[2]。1975年より成蹊学園名誉理事となった[2]

学外では、1961年に日本消費者協会を設立して理事長を務めたほか、1973年より製品安全協会会長を務めた[2]

1993年(平成5年)に100歳で没した[2]。立教大学元教授の野田一夫は甥[1][4]

栄典

脚注

  1. ^ a b c 「長野県人名鑑」p.414
  2. ^ a b c d e f g h i j 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年(20世紀日本人名事典. 野田 信夫. コトバンクより2021年8月1日閲覧
  3. ^ a b 『日本人名大辞典』講談社、2001年(デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 野田信夫. コトバンクより2021年8月1日閲覧
  4. ^ 猪狩誠也「日本の経営ジャーナリズム 現代の企業社会に何を残したか」(PDF)『広報研究』第22号、2018年3月、145-162頁。 (該当記述は152頁に記載)