近衛 経熙(このえ つねひろ、宝暦11年2月22日(1761年3月28日) - 寛政11年6月25日(1799年7月27日))は江戸時代中期の公家。父は近衛内前、養母は尾張藩主・徳川宗春の娘・勝子(実母は家女房)。姉は後桃園天皇の女御・近衛維子。正室は有栖川宮職仁親王の娘(桜町天皇の猶子)・泰宮薫子女王(円台院)。子に近衛基前、大僧正法務亮深、養女に薩摩藩主・島津重豪の娘で徳川家斉の御台所・茂姫(寔子)がいる[1]。官位は従一位・右大臣。
近衛家当主 | |
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