近衛教基

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近衛教基
時代 室町時代中期
生誕 応永30年(1423年
死没 寛正3年8月1日1462年8月25日
別名 後九条右府、陽明右大臣
官位 従一位右大臣
主君 後花園天皇
氏族 近衛家
父母 父:近衛房嗣、母:播磨局
兄弟 教基道興、増運、女子、政家、政深、政弁
御霊殿
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近衛 教基(このえ のりもと)は、室町時代中期の公卿関白近衛房嗣の一男。官位従一位右大臣後九条と号する。父から家督を継いで右大臣に至ったが摂関に昇ることなく早世した。

経歴

永享12年(1440年)10月、18歳で元服。6代将軍足利義教から偏諱を受け、教基と名乗る[1]。同13年(1441年)1月従三位に叙されて公卿に列し、2月右近衛中将に転じる。

以後は文安元年(1444年)11月権大納言、同3年(1446年)1月従二位、同6年(1449年)1月正二位と累進した。宝徳4年(1452年)3月右近衛大将となり、康正元年(1455年)8月内大臣、同3年(1457年)9月右大臣に任じられる。

長禄3年(1459年)1月従一位に叙されたが、寛正3年(1462年8月1日悪腫を患って現職のまま薨去。享年40。これは春日大明神の神罰によるものと噂された[2]。家督は弟・政家が継いだ。

系譜

  • 父:近衛房嗣(1402-1488)
  • 母:家女房播磨局 - 播磨守某女
  • 妻:不詳
  • 生母不明の子女
    • 女子:某[3](御霊殿・浄心仁、1459-1487)

脚注

  1. ^ 近衛家当主で足利将軍家から偏諱を賜ることは、教基が最初である。
  2. ^ 大乗院寺社雑事記』寛正3年8月14日条。ただし、同記は7月27日8月22日)薨去とする。
  3. ^ 後法興院記』文明17年12月7日条および長享元年9月29日条

参考文献