輿

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葵祭における、斎王代の輿

輿(こし)とは、人を乗せ人力で持ち上げて運ぶ乗り物。

ながえと称する二本以上の棒の上に人が乗る台を載せたもので、轅を肩に担ぎ、または手を下げ腰の位置で持ち、大勢の人間により運ばれる。一本の棒に下げて担いで運ぶものは駕籠かごと呼ばれる。

輿には大きく分けて2種類あり、輦輿れんよ手輿たごし腰輿ようよ)の2つに分けられる。

輦輿は屋根を上に載せた輿で、特に屋根の上に鳳凰ほうおうを載せたものは鳳輦ほうれんと呼ばれて神か天皇しか乗ることが許されなかった。もちろん、神が乗るとされた鳳輦は神社における祭祀の道具として用いられたものであり、後の神輿みこしの原型となった。これに対して葱花そうかを載せたものは葱花輦そうかれんと呼ばれて天皇が私的外出に用いるほか、皇太子や后妃が乗る場合もあった。他の大部分の人々が用いたのは手輿であり、輦輿が肩で担ぐのに対して、手輿は腰の高さで手でもって担いだ。代表的なものに輿の床の左右と背後に手摺てすりを設けた塵取輿ちりとりごし、床の四方に屋根をかけた四方輿しほうごし、屋根の部分を牛車に似せた袖輿そでごし、総板製の屋根による板輿いたごし、屋根から網ですっぽり覆った網代輿あじろごし筵張むしろばりの張輿はりこしなどが存在した。また、山道などの通行を容易にするため、屋形部分を取り外し床のみで担ぐこともあったが、これを坂輿さかごしといった。江戸時代に武士の一般の乗用が駕籠に代わると馬が入れない公式の場での乗り物として輿が用いられた。

交通手段としての輿

日本では、天皇貴族大名など身分の高い人が乗る交通手段であった。現代では、交通手段として使われることはほとんどない。輿は力者りきしゃにより担がれ、輿を担ぐときは輿丁よてい輿舁こしかきなどとも呼ばれる。

江戸時代東海道大井川など橋のない場合には、川越かわご人足にんそくに担いで渡してもらう連台越しという方法があった。

儀式的な場における輿

婚礼の際、妻の実家から夫の家へ輿に乗せて運ぶ風習がある。このことから、結婚することを女性の側から見て輿入れまたは入輿じゅよなどといい、また身分の高い男性やお金持ちの男性のところに嫁入りすることを玉の輿ともいう。

葬儀の際にを乗せて担ぐための葬具も輿という。

の際に神様の乗り物として運び、御神幸を行うものを神輿という。

いろいろな輿

輿に実際に乗れる場所

参考文献

脚注