車谷弘

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くるまたに ひろし

車谷 弘
生誕 (1906-08-28) 1906年8月28日
静岡県下田市
死没 (1978-04-16) 1978年4月16日(71歳没)
出身校 東京薬学専門学校
職業 編集者俳人実業家
栄誉 芸術選奨文部大臣賞(1977年)
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車谷 弘(くるまたに ひろし、1906年(明治39年)8月28日 - 1978年(昭和53年)4月16日)は、日本の編集者俳人実業家文藝春秋専務取締役を務めた。

人物・来歴[編集]

静岡県下田市出身。1929年(昭和4年)東京薬学専門学校(現・東京薬科大学)卒業[1]。翌年『サンデー毎日』の懸賞小説に入選。永井龍男と下宿を共にしていたこともある。

1931年(昭和6年)より文藝春秋社に勤め、戦後、菊池寛が同社を解散した際、佐佐木茂索鷲尾洋三らとともに文藝春秋新社を設立。『文藝春秋』、『オール讀物』の編集長、編集局長、出版局長を経て専務取締役となった[1]

小説を書くほか俳句をし、渡辺水巴久保田万太郎に師事。『侘助』『花野』と2冊の句集を出した。『銀座百点』の編集に携わり、向田邦子に連載を勧めた。その他、内田百閒の『ノラや』などの装丁を担当したこともある。出版部長時代に、石原慎太郎太陽の季節』の出版に強硬に反対したという逸話がある。

1977年(昭和52年)、『わが俳句交遊記』で芸術選奨文部大臣賞受賞。

著書[編集]

  • 『算盤の歌』明石書房、1942年。小説
  • 『草の葉日記』京屋出版社、1946年。小説
  • 『侘助 句集』牧羊社、1971年。
  • 『わが俳句交遊記』角川書店、1976年。
  • 『花野 句集』牧羊社、1976年。
  • 『銀座の柳』文藝春秋、1980年。中公文庫、1989年。

脚注[編集]