西淡路ライン

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株式会社西淡路ライン
係船中の富貴5と富貴8
係船中の富貴5と富貴8
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
兵庫県津名郡
業種 海運業
事業内容 一般定期旅客航路事業
代表者 長野繁夫
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株式会社西淡路ライン(にしあわじライン)は、兵庫県海運会社。かつて淡路島西岸と明石港を結ぶ航路を運航していた。

概要

明石市明石港津名郡北淡町(現在の淡路市)の富島港を結ぶ旅客航路を運航していた。

かつてこの航路は西淡連絡汽船が運航していたが、阪急グループ傘下となり阪急内海汽船となった。その後、阪急グループの撤退により、西淡路ラインが設立された。西淡路ラインへの移行後は、競合する播淡聯絡汽船淡路連絡汽船に先駆けて高速船を就航させるなどしていたが、明石海峡大橋開通後の旅客減により運航継続が困難となり、2001年9月18日から10月9日まで運航要員を確保できないため全便運休となった後、2001年11月で運航休止、事業から撤退した。

その後、航路・施設・従業員を淡路ジェノバラインが継承して2002年4月から運航を再開したが、2008年5月18日に再び航路休止となった。

阪神淡路大震災の際はメリケンパーク - 岩屋港間の臨時航路を運航した。

航路

距離13km、所要時間25分[1]
一日12往復(夏期13往復)[2]

船舶

  • 富貴
鈴木造船建造
富貴2と富貴3 (明石港)
  • 富貴2
鈴木造船建造、88.71総トン、旅客定員130名[1]
  • 富貴3
1985年5月竣工、鈴木造船建造、航路廃止後はやまさ海運へ売却、「マルベージャ3」として軍艦島クルーズに就航。
94総トン、登録長26.01m、型幅6.00m、型深さ2.57m、旅客定員180名[1]
  • 富貴5
鈴木造船建造、航路廃止後は大阪淡路ラインで就航、後に韓国へ海外売船。
98総トン、旅客定員210名、航海速力23ノット
  • 富貴8
1994年1月竣工、江藤造船建造、鉄道建設・運輸施設整備支援機構共有、航路廃止後は台湾へ海外売船。
115総トン、全長38.50m、型幅6.00m、型深さ2.82m、ディーゼル2基、機関出力2,000PS、航海速力21.5ノット、旅客定員232名

脚注

  1. ^ a b c 全国フェリー・旅客船ガイド 1987年上期号 P.520 (日刊海事通信社 1986)
  2. ^ 2001年5月31日現在 JTB時刻表2001年7月号