袁枚

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袁枚
袁枚

袁 枚(えん ばい、1716年 - 1797年)は朝中国の詩人・散文作家。字は子才、号を簡斎、別の号として随園老人という。

略伝

現在の浙江省杭州にある銭塘が出身地である。12歳で生員に合格し1738年挙人となり、翌年には24歳で進士に及第した。しばらく翰林院に在籍してから江蘇省溧水の県令に出され、以後は江浦沐陽などの地方官を転々とし、江寧の太守をつとめていたときその地に屋敷を買い随園と名づけた。若さに不安を持たれたせいか妬みのためか地方しか任されないために、袁枚は官僚の生活に嫌気がさし、38歳の時に官を辞して生涯官職に就かなかった。

「随園」に隠遁自適し、高潔風雅の士という名声を得たことで、入門を望む者や詩文の執筆を依頼する者が続出したという。『随園食単』という料理法の本を書き婦女文学を提唱するなど芸術全般に一家言のある人物であるが、その本領とするところは詩文であり、詩人の性情を自由に発露することを重視すべきだという、「性霊説」といわれる袁枚の詩論は『随園詩話』に論述されている。女弟子を多く集めて詩を教え、『随園女弟子詩選』という本まで公刊したことは、男女の礼法を乱す者として糾弾され、放蕩の詩人とさえいわれた。(蕭燕婉著『清代の女性詩人たち 袁枚の女弟子点描』中国書店、2007年)より、また他の著作では怪異談を集めた『子不語』が著名である。(中野清訳『孔子の話さなかったこと』あとがき)参照。

日本語文献

外部リンク