袁枚

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袁枚
Yuan Mei.png
清代学者像伝』第一集より。
プロフィール
出生: 1716年
死去: 1797年
出身地: 浙江省杭州銭塘
職業: 文人・詩人
各種表記
各種表記(本名)
繁体字 袁枚
簡体字 袁枚
拼音 Yuán Méi
通用拼音 Yuán Méi
注音符号 ㄩㄢˊ ㄇㄟˊ
注音二式 Yuán Méi
和名表記: えん ばい
発音転記: ユエン メイ
ラテン字 Yüan2 Mei2
英語名 Yuan Mei
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『清代学者像伝』第一集より、黄小泉「随園先生五十歳小像」

袁 枚(えん ばい、1716年 - 1797年)は朝中国の文人・詩人食通として名高い。子才簡斎、別の号として随園老人という。

略伝[編集]

現在の浙江省杭州にある銭塘が出身地である。12歳で生員に合格し1738年挙人となり、翌年には24歳で進士に及第した。しばらく翰林院に在籍してから公務につくが、若さに不安を持たれたせいか妬みのためか、地方しか任されず、江蘇省溧水の県令に出されてから以後は江浦など、地方を転々する。田舎まわりの生活に嫌気がさした彼は38歳の時に官を辞し、[1]そののちは生涯職に就かなかった。

若くして引退した後は、江寧(南京)につとめていたとき買った「随園中国語版」と名づけた庭園のある邸宅に隠遁自適し、読書や執筆を事とし、また美食に耽溺して日を送った。高潔にして風雅な詩風が名声を得たことで、入門を望む者や詩文の執筆を依頼する者が続出し、収入には事欠かなかったという。芸術全般に一家言のある人物であるが、その本領とするところは詩文であり、詩人の性情を自由に発露することを重視すべきだという、「性霊説」といわれる袁枚の詩論は『随園詩話中国語版』に論述されている。

婦女文学を提唱して女弟子を多く集めて詩を教え『女弟子詩選』という本まで公刊したことは、男女の礼法を乱す者として糾弾され、放蕩の詩人とさえいわれた[2]。またその他の著作では、食通の彼が追求した当時の中華料理の料理法、各地の食材、料理について詳細に記録したレシピ集の「随園食単(1792年)」、怪異談を集めた『子不語英語版中国語版』が著名である[3]

日本語文献[編集]

著書
評伝

注釈[編集]

  1. ^ 1971年刊の『閲微草堂筆記 子不語』平凡社 では、24歳で進士、38歳で官を辞すとあるが、2008年刊の『中国古典小説選11 閲微草堂筆記 子不語・続子不語(清代Ⅲ)』明治書院 では、23歳で進士、32歳で官を辞すとある。
  2. ^ 蕭燕婉著 『清代の女性詩人たち 袁枚の女弟子点描』 中国書店、2007年。
  3. ^ 中野清訳 『孔子の話さなかったこと』(情況出版、1998年)あとがき。

外部リンク[編集]