加島祥造

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加島 祥造(かじま しょうぞう、1923年1月12日 - )は、詩人翻訳家タオイスト、墨彩画家。

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[編集] 略歴

東京神田生まれ。東京府立第三商業学校早稲田大学文学部英文科卒。1954年フルブライト留学生としてカリフォルニア州クレアモント大学院に留学。信州大学横浜国立大学青山学院女子短期大学で英米文学を教える。

戦後、府立三商時代の同級生、北村太郎田村隆一らとともに詩作集団「荒地」に参加する。 その後、英米文学の翻訳の仕事を始めて、100点以上を手がける。主なものはウィリアム・フォークナー「八月の光」、「サンクチュアリ」、マーク・トウェイン、など。リング・ラードナーデイモン・ラニアンらユーモア文学の紹介にも力を注ぐ。また、『英語の辞書の話』(1983)を講談社より出版。英語辞書に関する統合的な研究書として評価される。加島の兄が早川書房創業者の早川清と小学校の同級生だったこともあり[1]、田村隆一をはじめ荒地派の詩人仲間たちにも早川書房での翻訳の仕事を紹介した。

50歳代より、横浜市在住だった高木三甫に書を習う。高木三甫、三好豊一郎、北村太郎、疋田寛吉渡辺録郎と「有路会」(メンバーが囲碁好きだったために囲碁を意味する烏鷺と、道がある人々の二つの意味をかけ合わせて名付けられた)をつくり画作と書の展覧会を開く。これを契機に、その後、数多くの個展を開く。2003年には駒ケ根高原美術館にて企画展開催。

1990年より長野県伊那谷に独居。1993年、『老子道徳経』を翻訳(抄訳)した『タオ・ヒア・ナウ』(PARCO出版)を出版。日本で初めて、老子の言葉と思想を、現代語自由詩の形によって表す。2000年、筑摩書房より老子81章の完全訳自由詩『タオ-老子』を出版、ロングセラーとなる。老子の思想を詩によって簡明に表現した画期的な仕事となる。

伊那谷の心象風景や自然を描き、老子の言葉や自らの詩などを画賛に添えた墨彩画により、現代の文人画の世界をつくっている。特に文人画において重要視される詩については、伊那谷へ移住後、活発な創作を行なっている。

加島祥造の思想的変遷には、現在に至るまでには以下のような大きな振幅がある。

  1. 東京の下町でももっとも繁忙な地域、神田の大家族の商家に育ち、晩年に至って、自分の心の故郷と知った伊那谷の自然の中に独居をした。
  2. 壮年期はアメリカの文学に深くかかわったが、やがて、漢詩から東洋の思想にたどり着いた。このプロセスにより、西洋と東洋の双方を見渡す位置に立つ。
  3. 文学という「文章」の中心だった仕事に、壮年期以降、絵が加わるようになる。
  4. 詩人としてスタートをし、アメリカ文学者として学究の世界に身を置いていたのが、思想として老子を見出したことで、自身の思想とライフスタイルを一致させる方向へと向かうことになる。

そしてこれら四つの振幅を貫くものとして、老子を見出し、その思想をタオイストとして体現化するため、現在は自然の中に身を置いて暮らしている。一貫した思想を詩、書、画で表現する現代の文人といえる。

息子の加島牧史は、東京・銀座の「Gallary&Bar Kajima」のオーナーで、また、翻訳家。

[編集] 編著書

[編集] 詩集・詩画集・訳詩集

[編集] 翻訳

[編集] 老子関連

  • 「タオ ヒア・ナウ」老子 PARCO出版 1993年
  • 「伊那谷の老子」淡交社 1995年、朝日文庫 2004年
  • 「老子と暮らす 知恵と自由のシンプルライフ」 光文社 2000年、光文社知恵の森文庫2006年
  • 「タオ 老子」筑摩書房 2000年、ちくま文庫 2006年
  • 「いまを生きる 六十歳からの自己発見」 岩波書店 2001年、「老子までの道」朝日文庫2007年
  • 「タオにつながる」朝日新聞社 2003年、朝日文庫 2006年
  • 「タオと谷の思索」 海竜社 2005年
  • 「肚 老子と私」日本教文社 2005年/「HARA 腹意識への目覚め」朝日文庫 2008年
  • 「エッセンシャルタオ 老子」 講談社 2005年
  • 荘子 ヒア・ナウ」PARCO出版 2006年
  • 「ほっとする老子のことば いのちを養うタオの智慧」二玄社 2007年
  • 「静かさにかえる」 風雲社 2007年 帯津良一対談
  • 「LIFE」PARCO出版 2007年
  • 「私のタオ 優しさへの道」筑摩書房 2009年12月

[編集] 脚注

  1. ^ 小田光雄『古雑誌探求』論創社、P.141


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