行 (仏教)

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(ぎょう)。サンスクリット原語および漢訳術語の数が多いので、主なものを挙げている。

caryā

悟りに到達するための修行のこと[1][2]菩薩の行願(修行と誓願)、行証(修行とその結果である証悟)、加行(けぎよう、準備的修行)、信行(信心と修行)、大行大信(名号の働きとしての称名と信心)、解行(理解と修行)、行学(実践と学問)などの「行」は実践(चर्या caryā、pratipatti)であり、繰り返し身につけるという意味の修行bhāvanā, anuyoga)をいう。

仏道修行のことを「行道」という。この語は、仏を右廻りに三度めぐって散華・読経する儀式にも使う。三種行儀(尋常・別時・臨終)のような念仏行事の儀式を「行儀」という。

gamana

歩くこと[2]、行くこと[3]गम्मन gamana)。行住坐臥四威儀の一つ[2]

karman

「行」は行為・行動であるから(ごう、कर्मन् karman)と同義に使われ、身口意の行いを「行業」という。

saṃskāra

更に、仏教教理の固有の術語として使われる「行」の原語に、सँस्कार saṃskāra(形成力、形成されているもの)あるいはसँस्कृत saṃskṛta(形成されたもの、有為)があり、本来、造作(つくること)と遷流(移り変ること)の二義があるという。

初期仏教・部派仏教

我々の身心を構成する五つの要素である五蘊(ごうん、色受想行識)の「行」と、十二因縁[2](十二縁起)の第二支の「行」は、いずれも意識を生ずる「意志作用」「志向作用」である。心の働きが一定の方向に作用していくこと、意志形成力のこと[4]。善悪の一切の行為のこと[2]例えば、桜を見て、その枝を切って瓶にさしたり、苗木を植えてみようと思い巡らすこと、が挙げられる[5]

大乗仏教(諸行無常)

大乗仏教における三法印の一つ諸行無常の「諸行」は、上記の元々の意味から変質し、現象世界の生滅変化している全存在を意味するようになった。

出典

参考文献

  • 中村元他『岩波仏教辞典』岩波書店、1989年。ISBN 4-00-080072-8 
  • 頼富本宏、今井浄圓、那須真裕美『図解雑学 般若心経』ナツメ社、2003年。ISBN 4-8163-3544-7