藤田恒美

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藤田 恒美(ふじた つねみ、1943年7月17日 - )は、日本の女性アナウンサーナレーター

東京都出身[1]法政大学社会学部[2]卒業。

来歴・人物[編集]

1966年4月TBS(現・TBSHD。以下同)アナウンサー11期生として入社(同期には岩崎直子遠藤泰子川戸惠子堀川友子[3][4]

1967年11月15日、アナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務に。[5]1969年3月、アナウンサー研修室付兼ラジオ局放送部[6]1969年4月、ラジオ局放送部兼第一制作部兼アナウンサー研修室付に[6]1970年7月25日、ラジオ本部アナウンス室(アナウンサー研修室から改称)[7]1991年5月、アナウンスセンター[6]

TBSラジオでは『全国こども電話相談室』の二代目「電話のお姉さん(パーソナリティ)」を担当。また、『小沢昭一の小沢昭一的こころ』では放送開始から終了まで一貫してナレーションを務める。ほかに、1970年代 - 1980年前半の人気アイドル野口五郎と共に『あなたとゴローのラブタイム』でパーソナリティを務める。

通常の番組担当のほか、長らくTBSテレビ放送開始・終了映像などで告知音声を担当。

1993年2月、ラジオ編成制作局情報センターに異動しアナウンス職を離れる[6]1997年3月、総務局広報部を経て[6]2003年7月19日、同月末でTBSを定年退職することの記念パーティーを開催[8]。2003年7月31日、TBSを定年退職。フリーとなり、ナレーション、朗読活動を行うかたわら、TBSアナウンススクールや、母校の法政大学自主マスコミ講座アナウンサーコースの講師を務めている。

出演番組[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、94頁。"出身地 東京"。 と明記。
  2. ^ 講師・スタッフの紹介”. 法政大学自主マスコミ講座. 2014年11月2日閲覧。
  3. ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、238頁。"1966.4<11期生> 5人入社(女5) 岩崎直子 遠藤泰子 藤田恒美 川戸(堀川)恵子 堀川友子"。 
  4. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、20-21頁。"66.4 <11期生>5人入社 応募者538名 岩崎 直子 遠藤 泰子 藤田 恒美 堀川 恵子 堀川 友子"。 
  5. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、22頁。"1967年11月15日 『アナウンサー研修室』設置 <アナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務者> 今村 稔、小川哲哉、車尾具昭、五味陸仁、桐本幸子、手塚俊子、本田綾子、岩崎直子、遠藤泰子、藤田恒美、堀川恵子、堀川友子、青木靖雄、石森勝之、小口勝彦、久米 宏、林 美雄、宮内鎮雄、米沢光規、河野通太郎"。 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、20-21頁。"藤田 恒美…[67.11 アナウンサー研修室付兼R局第一制作部][69.3 アナウンサー研修室付兼R局放送部][69.4 R局放送部兼第一制作部兼アナウンサー研修室][70.7 R本部アナウンス室][91.5 アナウンスセンター][93.2 R編成制作局情報センター][97.3 総務局広報部] R「パック・イン・ミュージック(69)」「全国こども電話相談室<二代目お姉さん>」「歌のない歌謡曲(74)」「あなたとゴローラブタイム(76)」「ラジオトピックス(77)」「きょうも明るく健康で(77)」「奥様ラジオ横丁(83)」「ラジオセミナー〜お金の経済学〜(84)」「ハートオブポップス(85)」「スーパーワイド・ぴいぷる(85)」「はやおき倶楽部(86)」「ワールド・トゥデイ(89)」「バック・グラウンド・ミュージック(90)」「サンデー・ニュース&スポーツ(92)」 TV「全国ヤング歌謡フェスティバル(70)」「CBSイブニングニュース(88)」「大好きパパ(92)」「イキイキ!地球家族(92)」"。 
  7. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、24頁。"1970年7月25日 「アナウンサー研修室」から『ラジオ本部アナウンス室』となる。"。 
  8. ^ 藤田恒美さん退職記念パーティー”. 法政大学自主マスコミ講座 (2003年7月19日). 2014年11月2日閲覧。
  9. ^ a b c d e 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、238頁。"藤田恒美 R「パック」「全国こども電話相談室」「サンデー・ニュース&スポーツ」 TV「全国ヤング歌謡フェスティバル」「CBSイブニングニュース(1988)」"。 

参考文献[編集]

  • 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年。 
  • 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。 

外部リンク[編集]