藤原浄本
藤原 浄本(ふじわら の きよもと、宝亀元年(770年)[1] - 天長7年7月21日(830年8月13日))は、平安時代前期の公卿。名は清本とも記される。藤原式家、参議・藤原蔵下麻呂の九男。官位は従三位・大蔵卿。
経歴
弘仁2年(811年)正六位上から従五位下に昇叙され、宮内少輔に任ぜられる。のち、嵯峨朝では図書助・侍従を歴任する。
嵯峨天皇末年の弘仁14年(823年)正月に従五位上に叙せられると、同年4月淳和天皇の即位に伴い正五位下、さらに同年11月には従四位下と1年間で4階級の昇叙を受ける。その後も天長4年(827年)従四位上、天長5年(828年)正四位下・蔵人頭と淳和朝で順調に昇進し、この間、大蔵大輔・近江守・大舎人頭・大蔵卿を歴任した。天長7年(830年)5月従三位に叙せられ公卿に列すが、同年7月21日に薨去。享年61。最終官位は大蔵卿従三位。
官歴
注記のないものは『日本後紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 弘仁2年(811年) 6月1日:従五位下。10月11日:宮内少輔
- 弘仁3年(812年) 8月3日:侍従
- 弘仁14年(823年) 正月7日:従五位上。4月27日:正五位下。11月28日:従四位下
- 時期不詳:大蔵大輔
- 天長3年(826年)以前:近江守[2]
- 天長4年(827年) 正月21日:従四位上
- 時期不詳:大舍人頭
- 天長5年(828年) 正月:蔵人頭[3]。閏3月11日:正四位下
- 天長7年(830年) 5月:従三位[4]
- 時期不詳:大蔵卿