薬缶 (落語)
薬缶(やかん)は古典落語の演目の一つ。原話は、明和9年(1772年)に刊行された『鹿の子餅』の一編である「薬罐」。
主な演者には、初代三遊亭圓遊、3代目三遊亭金馬などがいる。とくに金馬は演者自身見事な薬缶頭だったこともあり、多くの人に親しまれた。
前半部分だけを抜き出し「魚根問」として演じられることもある。
あらすじ
「おぉ、現れたなグシャ」
「へぇ」
「マァ、上がれグシャ。お茶でもどうだグシャ」
「な、何ですか、その『グシャ・グシャ』っていうのは。ぬかるみを歩いているんじゃ無いんですから」
「あぁ、グシャとは愚か者の事だ、愚者」
「愚か者…そうですか。おれぁそんな事とは気づかず返事しちゃった」
カチンとなった八五郎。如何してやろうかと考え込み、あるアイディアが…。
「隠居は、何でも知っているんですねぇ」
「その通りだ。森羅万象・神社仏閣、この世に知らぬものは無い」
「そうですか。じゃあ聞きますがね…」
のっぴきらない状況に追い込み、八五郎の逆襲が始まった。
いろいろ根問い
まずは、お魚の由来で小手調べ。
「じゃあ、魚の名前なんかどうです? まずは『マグロ』」
「真っ黒だからマクロだ」
「『コチ』は?」
「こっちへ泳いでくるからコチだ」
「向こうへ行く事もあるでしょ?」
「お前が向こうに回ればコチになる」
「じゃあ、『平目』は?」
「平たいところに目が付いてるからヒラメだ」
「詰まんない事聞いちゃったな。じゃあ『鰈』は? カレーライスなんて言ったら怒りますよ?」
「うーん、あれはヒラメの家来で、家令をしている」
「『鰻』は?」
「昔はヌルヌルしていたのでヌルといった。あるとき鵜がヌルをのみ込んで、大きいので全部のめず四苦八苦」
「へぇ」
「鵜が難儀したから、鵜、難儀、鵜、難儀、鵜難儀でウナギだ」
「ウーン…。じゃあ、『鰯』は?」
「イワシは『下魚』といわれるが、あれで魚仲間ではなかなか勢力がある。だから鰯が魚たちの名付け親になったんだ」
「ですから、その鰯自身は誰が名づけたんですか?」
「うー。ほかの魚が名をもらった礼に来て、「ところであなたの名は?」と尋ねられて「わしのことは、どうでも言わっし」と答えた。これでイワシだ」
「では、次は日用品ではどうでしょうか? まず『土瓶』」
「土でこさえた瓶だから土瓶。鉄で作れば鉄瓶だ」
「『茶碗』は?」
「置くとちゃわんと動かないから茶碗だ」
「手ごわいな。じゃあ『薬缶』は?」
「や(矢)で出来て…いないか」
隠居はダンマリ。八五郎はニマニマ…。
薬缶の講釈
「答えてやろう。昔は…」
「ノロと言いました?」
「いや、これは『水わかし』といった」
「それをいうなら『湯わかし』でしょ」
「水を沸かして、初めて湯になるのではないのか?」
「はあ、それで、なぜ水わかしがやかんになったんで?」
「これには物語がある」
川中島の合戦で、片方が夜討ちをかけた。
かけられた方は不意をつかれて大混乱。
ある若武者が自分の兜をかぶろうと、枕元を見たが何故かない。
あるのは水わかしだけ。そこで湯を捨て、兜の代わりにかぶった。
この若武者が強く、敵の直中に突っ込む。
敵が一斉に矢を放つと、水わかしに当たってカーンという音。
「矢があたって…」
「矢が当たってカーン…だから薬缶か」
「その通りだ」
「でも、蓋が邪魔になりませんか?」
「ボッチをくわえて面の代わりだ」
「つるは?」
「顎へかけて緒の代わり」
「じゃあ薬缶の口…」
「昔の合戦には『名乗り』があった。聞こえないと困るから、穴があったほうが好都合だ」
「あれ、かぶったら下を向きます。上を向かなきゃ聞こえない」
「その日は大雨。上を向いたら、雨が入ってきて中耳炎になる」
「耳なら両方ありそうなもんだ」
「ない方は、枕をつけて寝る方だ」
概要
原話では、海を越えて韓国に流れ着いた薬缶を見つけた現地の人が、「これは日本の兜ではないか」と考察する。
別伝
ウナギの由来に関しては別伝がある。
- 「のろのろしてるからのろと言った」
- (中略)「鵜が難儀してウナギ」
- 「じゃあなぜ焼いたのをかば焼きと言うんで?」
- 「のろのろしてて馬鹿だからばか焼きと言ったんだが、後でひっくり返してかば焼きになった」
- 「どうしてひっくり返すんですか?」
- 「ひっくりかえさねえと焦げちまうじゃないか」
また、やかんに関しては、戦が終わって若武者がやかんを外すと、熱気で蒸れて頭髪がみんな抜けた、それ以来禿頭のことをやかん頭と言うようになったというのがつくこともある。