芹沢守利

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芹沢 守利(せりざわ もりとし、1915年12月25日[1] - 2003年9月25日)は、日本の実業家

経歴

長野県上田市出身[1]1941年東北帝国大学法律学科を卒業し、同年に湘南電気鉄道(のちの京浜急行電鉄)に入社[1]1965年に取締役に就任し、自動車部長、常務、鉄道事業本部長、専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1987年6月に社長に昇格し、1991年6月に会長に就任した[1]

1993年から1995年までに日本民営鉄道協会会長を務めた[1]

1982年4月に藍綬褒章を受章し、1996年4月に勲一等瑞宝章を受章した[1]

2003年9月25日肺炎のために死去[2]。87歳没

脚注

  1. ^ a b c d e f 人事興信所 1999, せ35頁.
  2. ^ 2003年 9月30日 毎日新聞 朝刊 p31

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第39版 上』人事興信所、1999年。 
先代
飯田道雄
京浜急行電鉄社長
第8代:1987年 - 1991年
次代
平松一朗
先代
久万俊二郎
日本民営鉄道協会会長
1993年 - 1995年
次代
金森茂一郎