習李体制
中国共産党の第五指導者世代 | |
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習李 第一代内閣 | |
現在 | |
成立年月日 | 2012年11月15日 2013年3月15日 |
組織 | |
元首 | 習近平(中国共産党総書記) |
首相 | 李克強(中央政治局常務委員) |
与党 | 中国共産党 |
詳細 | |
成立直前の選挙 | 中国共産党第十八回全国代表大会 第12期全国人民代表大会 |
前内閣 | 胡温体制 |
次内閣 | 第6世代 |
習李体制(しゅうりたいせい)とは、いずれも中国共産党の世代でいうところの第5世代に属する[1]、習近平国家主席と李克強首相をツートップとする体制に対してメディアが、習政権の発足時に呼んだ呼び方である。
概説
政権発足時、メディアは新進気鋭の習と、経済の「司令塔」である李をツートップとする体制を、こう呼んで、囃したてた[2]。しかし、3年後の2016年3月の全国人民代表大会では、そう呼ぶものはいなかった[2]。3月5日の全人代の開幕式では、首相の李は演説で30か所も読み間違え、汗だくになった[2]。ひな壇に並ぶ指導部メンバーの中で、習ただ一人、李の演説に拍手もせず、不機嫌な表情で座っていた[2]。中国共産党序列第1位の習と同第2位の李は隣席同士だが、会議が終わってもあいさつどころか目も合わせなかった[2]。習の態度がこれと対照的だったのは、全人代トップで共産党序列第3位の張徳江に対する態度である[2]。開幕式から数日後の全人代期間中の張の演説が終わった後、演説を終え自席に戻る張に対して、習は拍手しながら笑顔で迎え、着席後も隣に座る張に対してしきりに話しかけた[2]。さらに、李克強の演説に対して、冷ややかな態度をとったのは、序列第6位で「反腐敗の鬼」と呼ばれる王岐山であった[2]。「反腐敗」は、習が国家主席就任後に権力を固める基盤となった[3][4]。王は李の演説中に席を立ち、10分以上も戻らなかった[2]。参加者は「トイレにしては長すぎる」との印象を抱いたという[2]。「習・李」体制は跡形もないが、「習・王」体制は機能していると、後掲日本経済新聞の記事は報じた[2]。
脚注
参考文献
- 日本経済新聞2016年3月24日朝刊第9面「ニュース解剖「ポスト習」憶測の春 全人代で占う来年の指導部人事」
- 稲垣清著『中南海 知られざる中国の中枢』(2015年)岩波新書
- 高原明生・前田宏子著『開発主義の時代へ1972-2014 シリーズ中国近現代史』(2014年)岩波新書、終章「超大国候補の自信と不安2012-2014」(執筆担当;高原)
関連項目
先代 胡温体制 |
中国共産党の中央指導集団 第5世代 |
次代 第6世代 |