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粛宗 (高麗王)

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粛宗(しゅくそう、1054年 - 1105年)は第15代高麗王(在位:1095年 - 1105年)。姓は王、は顒、諡号は文恵康正明孝大王、別名(初名)王熙。

甥から得た王位

粛宗は1054年文宗と仁睿太后李氏の三男に生まれた。第12代順宗と第13代宣宗の弟。1095年に実権を握り、幼弱な甥である献宗に代わって王になった。

治世

正当な王位継承ではなかったが、粛宗は強力な王権によって高麗を安定させた。1101年には南京(現在のソウル)を新しく建設するために南京開創都監を設け、権力をさらに拡大しようとした。また貨幤政策として、1102年に海東通宝を鋳造した。

粛宗の時は東アジアの情勢が急変し、北方で成長する女真族が高麗と国境を接するようになって、戦争の繰り返しを避けることができなくなった。

粛宗は軍隊養成に力を注いだが、1105年に西京(現在の平壤)にある東明聖王高句麗の初代王)の墓地を参拝して開京に戻る途中、車の中で死んだ。粛宗の墓は開京(現在の開城市)にある英陵である。

家族

后妃

  • 明懿王后柳氏

子女

  • 睿宗
  • 上党侯
  • 円明国師
  • 帯方公
  • 大原公王侾
  • 斉安公王偦
  • 通義侯
  • 大寧宮主
  • 興寿宮主
  • 安寿宮主
  • 福寧宮主