筑紫国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。ZéroBot (会話 | 投稿記録) による 2012年3月5日 (月) 17:55個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.1) (ロボットによる 追加: fr:Province de Tsukushi)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

筑紫国(つくしのくに)は、律令制成立以前のの一つである。『国造本紀』によれば、阿部臣と同祖の大彦命の5世孫にあたる田道命が、成務朝に筑紫国造に任じられたとされる。その領域は現在の福岡県のうち、東部(豊前国)を除いた大部分にあたる。

古事記』・国産み神話においては、隠岐の次、壱岐の前に筑紫島(九州)を生んだとされ、さらにその四面のひとつとして、別名を「白日別(シラヒワケ)」といったとされる。

次生、筑紫島。此島亦、身一而、有面四。面毎有名。故、筑紫国謂、白日別豊国、言、豊日別。肥国、言、建日向日豊久士比泥別。熊曾国、言、建日別。

7世紀末までに筑前国筑後国とに分割された。両国とも筑州(ちくしゅう)と呼ばれる。また、筑前国と筑後国の両国をさす語としては、二筑(にちく)・両筑(りょうちく)も用いられる。

関連項目