コンテンツにスキップ

稲川聖城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。柴崎力栄 (会話 | 投稿記録) による 2012年2月15日 (水) 09:47個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (- Category:大日本帝国陸軍軍人。単に兵役で軍隊経験があるというに過ぎない者に関しては、軍人としての特別な功績がない限り本カテゴリに含めない)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

稲川 聖城(いながわ せいじょう、本名: 稲川 角二(いながわ かくじ)、1914年11月 - 2007年12月22日 )は、ヤクザ指定暴力団稲川会総裁(初代会長)。稲川会3代目会長・稲川裕紘は実子(長男)。

生涯

1914年11月、横浜市西区浅間町に生まれる。

1933年神奈川県の片瀬(後の藤沢市)を本拠とする堀井一家の3代目・加藤伝太郎の下で修行に入る。ここで生涯の兄貴分となる横山新次郎と出会った。

1935年、会津若松歩兵第29連隊に現役兵として入隊(父親が福島県出身であった為)。1936年二・二六事件に鎮圧軍側の一人として出動。

1941年、網島一家2代目の鶴岡政治郎の代貸になる。

1949年頃に静岡 熱海で「稲川組」を結成。 横浜の愚連隊だった出口辰夫(通称モロッコの辰)、井上喜人吉水金吾林喜一郎(後の稲川会会長代行)を若衆とし(彼らは四天王と呼ばれた)、一気に勢力を拡大した。その後、鶴岡に因んだ「鶴政会」、次いで「錦政会」に改称。第一次頂上作戦の影響による一時的解散を経て1972年には「稲川会」に改めながら、日本有数の大組織に育て上げた。

1985年、稲川会会長を五代目横須賀一家総長・石井隆匡(進)に譲り、自身は稲川会総裁に就任した。

2007年12月22日、肺炎のために没。93歳。

演じた俳優


先代
稲川一家総長
初代: 196*-19**
次代
稲川裕紘
先代
稲川会会長
初代: 1972-1985
次代
石井隆匡