種市一正

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種市 一正
たねいち かずまさ
2011年撮影
生年月日 (1941-06-15) 1941年6月15日(82歳)
出生地 青森県三沢市
出身校 青森県立三本木農業高等学校
前職 全国農業協同組合連合会経営管理委員会会長
所属政党 無所属
称号 旭日小綬章
公式サイト 三沢市 種市一正 後援会事務所 - 三沢市長

当選回数 3回
在任期間 2007年6月17日[1] - 2019年6月16日
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種市 一正(たねいち かずまさ、1941年昭和16年)6月15日[2] - )は、日本政治家。元青森県三沢市長(3期)。

来歴[編集]

青森県三沢市「ふるさと名物応援宣言」資料内にて公開された肖像

青森県三沢市出身。1960年(昭和35年)3月、青森県立三本木農業高等学校卒業。卒業と同時に当時防衛庁長官の職にあった赤城宗徳旧茨城3区)の書生となる。茨城県養豚・椎茸栽培を学ぶ[3]。1979年(昭和54年)2月、青森農業協同組合青年部協議会の委員長に就任。

2002年(平成16年)7月25日、全国農業協同組合連合会(JA全農)経営管理委員会の副会長に就任[4]。2004年(平成18年)7月29日、同経営管理委員会の会長に就任[5]

2005年(平成19年)7月29日、全農秋田県本部などのコメ不正取引問題にかかる責任をとって、JA全農会長を辞任[6][7]

2007年(平成19年)5月1日、三沢市長の鈴木重令が肺炎と消化管出血のため死去。これに伴って6月に行われた市長選挙に鈴木の後援会長だった種市は立候補。無投票で初当選する。

2011年(平成23年)、無投票で再選。

2015年(平成27年)6月17日に行われた市長選挙には、種市とともに前市長の長男の鈴木重正が出馬。互いに自民党の推薦を獲得せんとするも決着はつかず、苦慮した党県連は自主投票とした[8]。鈴木との接戦を制し3選(種市:12,582票、鈴木:10,194票)[9]

2020年(令和2年)、旭日小綬章受章[10]

2018年(平成30年)11月30日、翌年の市長選に出馬しないことを表明。あわせて自民党県議の小桧山吉紀を後継指名した[11]

脚注[編集]

  1. ^ 青森県 - 市町村長及び議会議員の任期満了調
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、24頁。
  3. ^ 三沢市 種市一正 後援会事務所 プロフィール - 三沢市長”. 2017年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月16日閲覧。
  4. ^ “木下順一氏が全農会長に”. 南信州新聞. (2002年7月27日). http://www.minamishinshu.co.jp/news2002/7.2002/727n2.htm 2015年10月14日閲覧。 
  5. ^ “「改革速度上げたい」 全農の種市新会長”. 農業協同組合新聞. (2004年7月30日). http://www.jacom.or.jp/archive01/document/news04/nous101s04073006.html 2015年10月14日閲覧。 
  6. ^ “全農トップら辞意表明 時期は「改革の道筋つけてから」”. 農業協同組合新聞. (2005年6月3日). http://www.jacom.or.jp/archive02/document/news05/nous101s05060304.html 2015年10月14日閲覧。 
  7. ^ 秋田魁新報」2005年7月29日
  8. ^ “<三沢市長選>保守分裂 まち真っ二つ”. 河北新報. (2015年6月4日). オリジナルの2015年12月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151219143401/https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201506/20150604_21008.html 2015年10月14日閲覧。 
  9. ^ 三沢市長選挙(2015/06/07投票)結果”. 選挙ドットコム. 2020年12月11日閲覧。
  10. ^ 令和2年春の叙勲受章者名簿”. 内閣府. 2020年12月11日閲覧。
  11. ^ “三沢市長選 種市氏が3期で勇退 小桧山県議を後継指名 /青森”. 毎日新聞. (2018年12月1日). https://mainichi.jp/articles/20181201/ddl/k02/010/202000c 2020年12月11日閲覧。 

外部リンク[編集]