白毛女
白毛女 | |
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タイトル表記 | |
繁体字 | 白毛女 |
簡体字 | 白毛女 |
拼音 |
Bái Máo Nǚ (バイ マオ ニュゥ) |
英題 | The White Haired Girl |
各種情報 | |
監督 | 王浜・水華 |
脚本 | 水華・王浜・楊潤身 |
出演者 | 田華・李百万 |
音楽 | 瞿維・張魯・馬可 |
主題歌 | 『北風吹』 |
撮影 | 銭江・呉蔚雲 |
美術 | 盧淦 |
製作会社 | 東北電影制片廠 |
配給 | 独立映画センター |
公開 |
1950年 1955年12月 |
上映時間 | 111分 |
製作国 | 中国 |
言語 | 普通話 |
『白毛女』(はくもうじょ)は、中国の革命歌劇、および、その主人公。
文化大革命期間中、上演が許された8つの『様板戯』(模範劇)、『紅色経典』(共産主義模範作品)の1つ。映画化・バレエ化も行われた。
概要
貧農の父親の借金の肩に、中国国民党とつながる悪辣な反動地主から暴行を受けた貧農の娘が山奥の洞穴に逃亡、隠れている間に白髪となったものの、解放軍に救い出され、地主を打倒するまでの姿を描く。延安の魯迅芸術学院の集団創作。
テーマは、「国民党支配下の旧社会は、人を鬼(妖怪)にするが、共産党による新社会は鬼を人にする」。
1940年ごろの実話を基にしている[1]。
上演
初演は1944年[1]もしくは1945年。その後1950年に実写映画が上映、1958年に京劇版、1965年に舞台バレエ(上海)版がそれぞれ上演された。
日本の松山バレエ団が1958年に日中文化交流協会の日本側使節として初の訪中公演をおこなった際に上演したことがある[2]。また、1972年7月には中日友好協会副秘書長の孫平化を団長とした上海バレエ団が訪日し、日生劇場をはじめとして日本各地で本作の上演をおこなっている[2][3]。
あらすじ
1935年、河北省のある村の貧農・楊白労には、趙喜児(チャオ・シーアル)という美しい娘がいた。同村の若者・王大春と婚約し、婚礼の日を待っていたが、喜児に目をつけた村の悪徳地主黄世仁によって、喜児は連れ去られ強姦されてしまい黄の子供を身ごもってしまう。王は村を追放される。楊は悲しみのあまり自殺し、喜児は親の借金のカタに女郎屋に売り飛ばされたが逃走に成功、山奥に入ってほら穴に住みつき、そこで子供を産むが殺してしまう。
飢えと悲しみにやせ細った喜児の頭髪は、いつかまっ白に変り、村人のあいだに「白毛の仙女」のうわさがひろがった。3年たち、1937年7月、侵入してきた日本軍をむかえうつため、八路軍が北上していた。その中には、村から脱出し、八路軍に加わっていた大春の姿もあった。黄は八路軍の解放政策に対抗して「白毛の仙女」の悪い噂をばらまき、農民の抗日運動をくじこうとした。大春は山奥のほら穴に向かい、意外にも「白毛の仙女」が喜児であったことを知る。喜児から地主の仕打ちを聞いた王は、軍を村に進めて黄を打倒した。喜児と結婚し、髪も黒さが蘇った。
主題歌
劇中挿入歌でテーマ曲でもある『北風吹』(拼音: = ベイ フォン チュイ)は、1970年代ごろから90年代までNHKラジオ第2放送および教育テレビの『中国語講座』の主題歌にも使われていた。曲は河北民謡「小白菜」に基づいている。
日本語訳・評論
- 白毛女
- 魯迅芸術学院文工団(著) 島田政雄(翻訳) 未來社 1952年 ASIN B000JBBDJC
- バレエ白毛女はるかな旅をゆく
- 清水正夫(著)講談社 1983年1月 ISBN 4062009056
脚注
- ^ a b 『コンサイス外国人名事典〈改訂版〉』「白毛女」 三省堂 1985
- ^ a b 知られざる日中友好秘話 バレエ『白毛女』が結び目に - CHiNA SUPERCiTY
- ^ NHKは1972年7月末に上演の模様を特別番組『中国上海舞劇団公演―白毛女』として放送している。
テレビは中国をどう伝えてきたか ~NHKの特集番組を中心に~ p.46(PDFファイル) - NHKオンライン
外部リンク
- 『白毛女』が結んだ周恩来と松山バレエ団の深い友情 - チャイナネット(中国網日本語版)