田村茂

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田村 茂(たむら しげる、1909年2月28日 - 1987年12月16日)は、北海道札幌市出身のの写真家。本名は田村寅重

来歴・人物

オリエンタル写真学校卒業。光映社を経て、1935年渡辺義雄とともに銀座に東京スタジオを開設、広告写真を手がける。後にバウハウスの理念を踏襲した川喜多煉七郎のもとで学び、1937年から『婦人画報』を中心に活動。同誌上でマーティン・ムンカッチの影響を感じさせるファッション写真を多数発表し、この分野における日本の第一人者となった。1938年土門拳らと「青年報道写真研究会」を結成。1940年日本写真工芸社写真部長となり、対外宣伝誌『VAN』などにおいて報道写真を手がける。1946年『世界画報』写真部長、1949年フリー。同年から『文藝春秋』で、「現代日本の百人」を連載。

1951年三越争議に取材した『訴える』を機に、社会的テーマを扱った作品を発表するようになり、米軍基地反対闘争や原水爆禁止運動、ベトナム戦争などの取材を行った。1958年『アラブの真実』で平和文化賞、1966年日本ジャーナリスト会議賞、1967年には『北ベトナムの証言』で日本写真批評家協会賞特別賞を受賞。1963年日本リアリズム写真集団」を結成。1970年代以降は、日本の風土と文化遺産の取材と記録に尽力した。1982年日本写真協会功労賞受賞。著書に『田村茂の写真人生』がある。没後3年目の1990年5月、『求道の写真家 田村茂』(田村茂追想集刊行委員会編著、光陽出版社、1990年5月刊)刊行。

作品

  • 現代日本の百人
  • アラブの真実
  • チベット  
  • 北ベトナムの証言
  • みんなが英雄―写真で見る「北ベトナム報告」
  • 日本の風土と文化
  • わがカメラの写真史