田原重綱

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田原 重綱
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 天正12年(1584年
別名 与右衛門(通称
主君 北畠具教織田信雄
氏族 田原氏
父母 父:田原元綱
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田原 重綱(たはら しげつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。通称は与右衛門。織田信雄の家臣。

略歴[編集]

田原元綱の子として生まれる。田原氏伊勢赤堀氏の一族で、浜田城に拠って北畠家に仕えた[1]

天正4年(1576年)、滝川一益の攻撃を受けて父の元綱は討死するが、重綱は美濃国に逃れ、後に織田信雄の家臣となった[2]

天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いに参加し、加賀野井城で討死した[2]

脚注[編集]

  1. ^ 森岡浩『戦国大名家辞典』東京堂出版、2013年12月20日、349頁。ISBN 9784490108422 
  2. ^ a b 阿部猛西村圭子『戦国人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年9月10日、502頁。ISBN 4404017529