田中敬子 (力道山の妻)

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田中 敬子
ペンネーム 田中 敬子
誕生 (1941-06-06) 1941年6月6日(82歳)
日本の旗 日本神奈川県横浜市
最終学歴 神奈川県立横浜平沼高等学校
ジャンル プロレス、平和、社会貢献
代表作 『夫・力道山の慟哭』
配偶者 力道山
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田中 敬子(たなか けいこ、1941年6月6日 - )は、日本社会貢献家・講演家。元スチュワーデス(キャビンアテンダント)。プロレスラー・力道山の妻として著書やインタビューなど多数ある[1]

来歴

1941年6月6日、神奈川県横浜市生まれ。父・勝五郎は神奈川県警察警視で、茅ケ崎警察署の署長を務めた[2]神奈川県立横浜平沼高等学校卒業。1960年、日本航空に客室乗務員として入社し、主に国際線を担当した。1963年6月5日に21歳で力道山と結婚[3]。半年後の12月8日にナイトクラブで力道山が刺され、1週間後の12月15日に39歳で死去した。

力道山没後の1964年3月に身ごもっていた娘を出産。以後、力道山の遺志を伝えたいと社会貢献活動に従事。講演活動を行いながら、力道山OB会としての活動や新日本プロレスのオフィシャルショップ、闘魂ショップ水道橋店の店長を務める[4]。なお、婚姻時は百田姓であったが、力道山13回忌を境に旧姓である田中姓に戻している[5]

非嫡出子である百田義浩百田光雄とは義理の息子、義理の母の関係である[6]

人物

当時公言していなかった力道山の出自については結婚前に告げられていた。しかし祖国での人気は把握しておらず、力道山の死後に訪朝した際、力道山のことを市民がよく知っており、名前を冠した記念品があちこちで売られていることに驚かされたという。

力道山本人は「『オレは“なに人”でも関係ない。南も北もない』と南北朝鮮や日本と国境を分け隔てない考えを持っていたといい[7]、田中本人も講演活動で述べている。

身長160㎝[8]

力道山は弟子に厳しい一面があることで知られているが、そんな力道山の人柄を理解しており、力道山が虐待じみた教育をアントニオ猪木に行っていたことは有名だが「可愛がっていた実の息子にもスパルタだったぐらいだった。むしろ、息子に対する態度は猪木さんに対するものと同様だった。実の息子のように思っていた」と擁護していた[9]

著作

  • 夫・力道山の慟哭―没後40年 未亡人が初めて明かす衝撃秘話(2003年7月1日、双葉社) ISBN:978-4575295818
  • 闘え、生きろ、老いるな!夫・力道山の教え(2008年10月1日、現代企画) ISBN:978-4886619563 
  • 今こそJAPANに力道山!―空手チョップに込められた願い(2019年1月1日、パロアルトコード)ISBN:978-4434256912

脚注

注釈

出典

  1. ^ 力道山が刺された日。妻が聞いたアントニオ猪木を認める言葉と幻の計画”. スポルティーバ. 集英社 (2020年7月31日). 2020年7月31日閲覧。
  2. ^ 第103回 力道山(その四)総費用1億円の結婚式を挙げ、新婚旅行は1ヵ月。豪奢な幸福の後に……”. 現代ビジネス. 講談社 (2014年12月5日). 2020年7月31日閲覧。
  3. ^ 力道山の妻・田中敬子さん、トークライブで明かした力道山の遺言…「決してあきらめちゃいけない。ネバーギブアップ」”. スポーツ報知 (2019年9月14日). 2019年9月14日閲覧。
  4. ^ 田中敬子『今こそJAPANに力道山を』奥付け、著者プロフィール(2019年、パロアルトコート)
  5. ^ 第2950例会”. 大宮ロータリークラブ (2015年4月15日). 2019年9月14日閲覧。
  6. ^ 力道山の孫が東京六大学野球で初勝利!”. リアルライブ (2011年4月26日). 2019年9月14日閲覧。
  7. ^ 【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(50)夢に終わった五輪統一チーム 南北で取り合った民族の英雄”. 産経新聞 (2018年12月22日). 2018年12月22日閲覧。
  8. ^ アサヒ芸能「スクープ大事件史」Vol.3(1)力道山と日航スッチーの恋”. アサ芸プラス (2016年12月29日). 2020年9月6日閲覧。
  9. ^ 「おい、アゴを呼べ」付け人時代懐かしむ力道山夫人”. 日刊スポーツ (2018年12月15日). 2022年8月30日閲覧。