玉畹梵芳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2021年11月13日 (土) 12:02; 176.126.113.172 (会話) による版(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

玉畹 梵芳(ぎょくえん ぼんぽう、1348年貞和4年/正平3年)ごろ - 1420年応永27年)ごろ)は、南北朝時代から室町時代画家臨済宗である。

経歴・人物[編集]

幼年期より出家し、春屋妙葩に師事する。後に近江へ入り、永源寺住職であった寂室元光および義堂周信からを学んだ。

後に水墨画に専念し、豊後万寿寺京都建仁寺および南禅寺の住職も務めた。これにより、当時室町幕府将軍であった足利義持の恩恵を受け仕えたが、1420年(応永27年)不平により対立し、近江に隠居した後に入滅したとみられている。なお、梵芳の作品は鉄舟徳済と共にの画僧、雪窓の作風「墨蘭」の二大画僧として知られた。

主な作品[編集]

蘭石図 クリーヴランド美術館

絵画[編集]

[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 雪裡三友図(文化遺産オンライン)
  2. ^ 芭蕉夜雨図(東京国立博物館)
  3. ^ 柴門新月図(コトバンク)

出典[編集]