玉林院

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玉林院

本堂庭園
所在地 京都府京都市北区紫野大徳寺町74
位置 北緯35度2分32.7秒 東経135度44分35.4秒 / 北緯35.042417度 東経135.743167度 / 35.042417; 135.743167座標: 北緯35度2分32.7秒 東経135度44分35.4秒 / 北緯35.042417度 東経135.743167度 / 35.042417; 135.743167
宗派 臨済宗大徳寺派
寺格 大徳寺塔頭
創建年 慶長8年(1603年
開基 月岑宗印
文化財 本堂(附 玄関)、南明庵、蓑庵、霞床席(重要文化財)
法人番号 5130005001224 ウィキデータを編集
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茶室前露地

玉林院(ぎょくりんいん)は京都府京都市北区紫野にある臨済宗の寺院。臨済宗大本山大徳寺塔頭である。通常は公開されていない。

歴史

慶長8年(1603年)、御所出入りの医師であった曲直瀬正琳(まなせ しょうりん)が、月岑宗印(げっしん そういん)を開祖として創建した。慶長14年(1609年)に火災により焼失するが、まもなく再興された。創建当初は正琳庵と称していたが、「琳」の字を分けて現在の院号「玉林院」に改めた。寛保2年(1742年)、大坂の豪商・鴻池了瑛(4代目鴻池善右衛門)が、先祖とされる山中鹿之助の位牌堂として南明庵を建立するとともに、蓑庵・霞床席が造営された。

建造物

  • 本堂 - 元和7年(1621年)に建立された一重入母屋造、桟瓦葺の建物で、大徳寺塔頭の本堂中では最も規模が大きい。本堂室内の襖には狩野探幽ら狩野一門の絵師による水墨画が描かれている。
  • 南明庵 - 鴻池了瑛が寛保2年(1742年)に先祖である山中鹿介を祀るために建てたもので、鹿介の位牌が安置されている。
  • 茶室
    • 蓑庵(さあん) - 表千家7世・如心斎宗左の好み。三畳中板台目切りの茶室。
    • 霞床席(かすみどこせき) - 四畳半の茶室。床の間の中央に違い棚を設ける。この違い棚は奥の壁からやや離して設けられており、壁に富士山の絵の掛け軸を掛け、違い棚を富士にかかる霞に見立てる趣向で、霞床席のもこれに由来する。
    • 洞雲庵 - 桑山宗仙千利休の息子・道安の門人、片桐石州の師)の建立したものを、昭和19年(1944年)に再建したもの。

文化財

重要文化財

  • 本堂(附 玄関)
  • 南明庵及び茶室(蓑庵、霞床席)(附 蓑庵露地)
  • 絹本著色釈迦如来像

アクセス

JR京都駅より京都市バス・大徳寺前(約30分)下車、徒歩

関連項目

外部リンク

  • 玉林院 公式ホームページ[1]