清田義英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

清田 義英(せいた よしひで、1941年昭和16年)3月14日[1] - 2014年平成26年)9月28日[2])は、日本の歴史学者、多摩美術大学名誉教授。日本中世史専攻。

来歴[編集]

神奈川県藤沢市出身、在住。1964年早稲田大学文学部史学科卒、1968年小野梓記念学術賞受賞、1971年早大大学院博士課程満期退学。1994年「中世寺院法の基礎的研究 -寺院の多数決制と寺院法式」で早大文学博士。多摩美術大学教授、美術学部長、2007年学長、2011年退任、名誉教授。

2014年9月28日、膵臓癌のため死去[1]

著書[編集]

  • 『日本法史における多数決原理 中世寺院社会の多数決論を中心として』敬文堂、1971
  • 『鎌倉の刑場 龍乃口』敬文堂、1978
  • 鎌倉の弘法者 日蓮-その行動の軌跡』敬文堂、1982
  • 『日本中世寺院法の研究』敬文堂、1987
  • 『中世寺院法史の研究 寺院の多数決制と寺院方式』敬文堂、1995
  • 『中世都市鎌倉の「はずれ」の風景 西のはずれ「龍の口」の原風景』江ノ電沿線新聞社、1997
  • 『中世寺院の知恵』敬文堂、1998
  • 頼朝以前の鎌倉の風景』江ノ電沿線新聞社、2004
  • 『中世法華寺院法史論』敬文堂、2009

参考[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『現代物故者事典2012~2014』(日外アソシエーツ、2015年)p.317
  2. ^ 毎日新聞 2014年10月2日 訃報:清田義英さん73歳=前多摩美術大学長 - ウェイバックマシン(2014年10月6日アーカイブ分)