清水区 (台中市)
別称: 牛罵頭 | |
地理 | |
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位置 |
北緯24°15' 東経120°31' |
面積: | 64.1709 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 清水區 |
日本語読み: |
せいすい きよみず[1] |
拼音: | Qīngshuĭ |
通用拼音: | Cīngshueĭ |
注音符号: | ㄑㄧㄥ ㄕㄨㄟˇ |
片仮名転写: | チンシュイ |
行政 | |
行政区分: | 市轄区 |
上位行政区画: | 台中市 |
下位行政区画: | 32里593鄰 |
清水区長: | 顔秋月 |
公式サイト: | 清水区公所 |
情報 | |
総人口: | 85,574 人(2006年7月) |
世帯数: | 23,253 戸(2006年7月) |
郵便番号: | 436 |
市外局番: | 04 |
清水区の木: | - |
清水区の花: | - |
清水区の鳥: | - |
地理
清水鎮は台中県西部、大甲渓の南に位置し、西は台湾海峡に接している。東は神岡郷と、南は梧棲鎮及び沙鹿鎮と、北は大甲渓を挟んで大甲鎮と接している。公所所在地の海抜は僅かに8m、最高地点の呉厝里でも218.7mと比較的平坦な地勢となっている。西部平原地区では市内中心部が構成される他に水稲栽培が盛んであり、東部では鰲峰山などの丘陵地帯が広がっている。
歴史
清水区の旧称は「牛罵頭」であり、清による台湾統治が開始されると諸羅県牛罵社に帰属した。1723年、諸羅の北百余里の地、捷虎尾から大甲渓にかけて彰化県を設置され、清水地区も彰化県の管轄となり、泉州より楊、蔡姓の入植者が移住し本格的な開発が開始された。1733年になると漢人による入植地は13荘を数えるに至った。1764年、『続修台湾府治』の「牛罵街条」によれば次第に街が形成され、漢人集落は牛罵社付近に存在していた為、「牛罵頭街」と称されたとある。日本統治代の1920年に「其稱呼は甚だ卑俗たるを以て、島內でも最も清水の湧く處だから[2]」和風地名である「清水」(きよみず)に改称され現在に至っている。
経済
清水区は典型的な農業型経済となっており、土地の大部分は農牧業に用いられている。東部の大楊地区では畑作農業と養鶏業が主であり、西部では大秀、高美、三田地区で水稲栽培及び野菜栽培が行なわれている。商品価値の高い果物に関しては海から吹き込む季節風の影響で発達しておらず、小規模のライチ栽培が見られる程度である。
行政区
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歴代区長
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教育
高級中学
国民中学
国民小学
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交通
種別 | 路線名称 | その他 |
---|---|---|
鉄道 | 海岸線 | 清水駅 |
高速道路 | フォルモサ高速道路 | 清水IC |
国道 | 4号 台中環状線 | 清水端IC |
省道 | 台1線 | |
省道 | 台10乙線 | |
省道 | 台17線 | |
省道 | 台61線 | 西浜快速公路 |
観光
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出典
- ^ 「州、廳ノ位置、管轄區域及郡市ノ名稱、位置、管轄區域」大正九年八月十日、臺灣總督府令第四十七號
- ^ 水越幸一 「市郡の區域稱呼其所在地並街庄の稱呼等に就て」『臺灣時報』第十六號、大正九年、一四一頁。