潭子区

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台中市の旗 台中市 潭子区
別称: 潭仔
地理
位置 北緯24°13'
東経120°42'
面積: 25.8497 km²
各種表記
繁体字: 潭子
日本語読み: たんし
拼音: Tánzǐ
通用拼音: Tánzǐh
注音符号: ㄊㄢˊ ㄗˇ
片仮名転写: タンズー
台湾語: Thâm-chú
客家語: Thâm-tsṳ́
行政
行政区分: 市轄区
上位行政区画: 台中市の旗 台中市
下位行政区画: 16里302鄰
潭子区長: 劉振村
公式サイト: 潭子区公所
情報
総人口: 106,613 人(2016年1月)
世帯数: 35,473 戸(2016年1月)
郵便番号: 427
市外局番: 04
潭子区の木: -
潭子区の花: -
潭子区の鳥: -
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台中加工輸出区
仏教慈済総合医院台中分院

潭子区(タンズー/たんし-く)は台中市市轄区

地理[編集]

歴史[編集]

潭子の旧称は「潭子」であり、1920年に「潭子庄」と改称され現在の地名となった。元来は拍宰海族の活動地域であり「阿里史社」と称されていた。当時は住人もまばらであったが、清代の康熙年間末になると漢人による入植が開始された。雍正年間には岸裡社通事の張達京著により大規模開発に着手「六館業戶」が成立し、その兄弟張達朝、張達標を初め同郷人を数多く入植させた。清初、潭子郷は諸羅県猫霧栜堡岸裡社に帰属していたが。雍正年間に彰化県が新設されると東、西堡に分割され、乾隆中期以降は栜東上、下堡と改称されて猫霧栜東上堡轄国に属した。1887年福建台湾省が成立すると台中地区は台湾府附郭首県と改編され、潭子区は台湾県栜東上堡に帰属することとなった。

日本による台湾統治が開始されると台中県が設置され、その下に弁務署が設置された。潭子は台中県葫蘆弁務署栜東上堡に帰属した。その後1902年台中庁葫蘆支庁栜東上堡に、1920年7月には台中州豊原郡潭子庄と改編された。台湾の中華民国への編入後は台中県豊原区潭子郷となり、1950年に台中県潭子郷に改められ、下部行政区域として潭秀、潭北、潭陽、瓦瑤、頭家、甘蔗、東宝、大富、大豊、栗林、嘉仁、新田、聚興の13村を設置した。1990年9月1日に「瓦瑤村」を「福仁村」と改称し、更に2002年2月7日、「頭家村」を分割し新たに「頭家東村」、「家興村」、「家福村」を設置した。2010年12月25日の台中県市合併、直轄市昇格に伴い潭子区と改称されて現在に至る。

経済[編集]

行政区[編集]

大富里、大豊里、甘蔗里、東宝里、栗林里、家福里、家興里、福仁里、新田里、嘉仁里、潭北里、潭秀里、潭陽里、頭家里、頭家東里、聚興里

歴代区長[編集]

氏名 任期

教育[編集]

高級中学[編集]

国民中学[編集]

国民小学[編集]

交通[編集]

潭子駅
種別 路線名称 その他
鉄道 台中線 栗林駅 潭子駅 頭家厝駅
省道 台3線

観光[編集]

潭子農会穀倉

関連項目[編集]