浅岡朝泰
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名前 | ||||||
カタカナ | アサオカ トモヤス | |||||
ラテン文字 | ASAOKA Tomoyasu | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1962年4月6日(62歳) | |||||
出身地 | 東京都 | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW、MF、DF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1985-1988 1988-1991 |
日本鋼管 読売クラブ |
63 (6) 39 (2) | ||||
代表歴 | ||||||
1987-1989 | 日本 | 8 (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
浅岡 朝泰(あさおか ともやす、1962年4月6日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。ポジションはFW(右ウイング)、MF(右ウイングバック)、DF(右サイドバック)。
略歴
1985年に日本サッカーリーグ1部の日本鋼管サッカー部に入部。俊足を活かしたドリブル突破と正確なセンタリングが持味で、そのシーズンに新人で初のアシスト王を獲得した。
1985年から1987年シーズンまで3年連続リーグ戦2位、1986年度に天皇杯全日本サッカー選手権大会準優勝、1987年にJSLカップを制覇し、同サッカー部の躍進に貢献した。また日本代表にも選出され、ソウルオリンピック予選など8試合に出場した。
その後、1988年に就任した横山兼三監督時代の日本代表では右ウイングバックに抜擢。同年にはブンデス・リーガ入りが報道されたが、読売クラブへ移籍。同チームでは、フォワード、右サイドバックとして活躍した。
所属クラブ
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1985 | 鋼管 | JSL1部 | 21 | 2 | |||||||
1986-87 | 鋼管 | JSL1部 | 21 | 2 | |||||||
1987-88 | 鋼管 | JSL1部 | 21 | 2 | |||||||
1988-89 | 読売 | JSL1部 | 16 | 2 | |||||||
1989-90 | 読売 | 23 | JSL1部 | 22 | 0 | 3 | 0 | ||||
1990-91 | 読売 | 2 | JSL1部 | 1 | 0 | 0 | 0 | ||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 102 | 8 | |||||||
総通算 | 102 | 8 |
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 5試合1得点
受賞歴
- 1985年 アシスト王、JSLシルバーボール賞、年間優秀11人賞、報知ベストイレブン
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 8試合 0得点(1987-1989)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1987 | 1 | 0 | 7 | 3 | 8 | 3 |
1988 | 5 | 0 | 4 | 0 | 9 | 0 |
1989 | 2 | 0 | 6 | 0 | 8 | 0 |
通算 | 8 | 0 | 17 | 3 | 25 | 3 |