櫻の樹の下には

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櫻の樹の下には
著者 梶井基次郎
発行日 1928年12月
発行元 厚生閣(季刊誌『詩と詩論 第二冊』)
ジャンル 短編小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 雑誌掲載
ウィキポータル 文学
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櫻の樹の下には』(さくらのきのしたには)は、梶井基次郎の短編小説。散文詩と見なされることもある。「の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」という冒頭文に始まり、話者の「俺」が、聞き手の「お前」に語りかけるという手法の物語。満開のかげろうのうちに、屍体というを透視し、惨劇を想像するというデカダンスの心理が描かれている[1]

1928年(昭和3年)、季刊誌『詩と詩論 第二冊』12月号に掲載された。3年後の1931年(昭和6年)5月に武蔵野書院より刊行の作品集『檸檬』に収録された。文庫版は新潮文庫『檸檬』、ちくま文庫『梶井基次郎全集 全一巻』などに収録されている。

削除された最終断章

『櫻の樹の下には』は初出時、4つの断章で構成された作品であったが、刊行本『檸檬』収録時に最終章(「剃刀の刃」の話の後半部分)は削られたが、ここを何故、梶井が削除したかの理由は明らかではない[1]。「剃刀の刃」の話の後半部分は以下の内容である。

――それにしても、俺が毎晩家へ帰つてゆくとき、暗のなかへ思ひ浮んで来る、剃刀の刃が、空を翔ぶのやうに、俺の頚動脈へかみついてくるのは何時だらう。これは洒落ではないのだが、その刃には、

 Ever Ready (さあ、何時なりと)

と書いてあるのさ。

あらすじ

灼熱した生殖の幻覚させる後光のような、人の心を撲たずにはおかない、不思議な生き生きとした美しい満開のの情景を前に、逆に不安と憂鬱に駆られた「俺」は、桜の樹が美しいのは下に屍体が埋まっているからだと想像する。そしてかげろうや、剃刀の刃に象徴される惨劇への期待を深める。花の美しいの真っ盛りに、死のイメージを重ね合わせることで初めて心の均衡を得、自分を不安がらせた神秘から自由になることが出来ると、「俺」は「お前」に語っていく。

作品評価・解釈

『櫻の樹の下には』は、梶井にしては珍しく「かなり強いイメージの比喩」を多様されており、「美に醜を対置し、美のうちに“惨劇”を見出すデカダンスの美意識とその心理」が描かれている作品だと鈴木貞美は解説している[1]

桐山金吾は、話者の「俺」が、華麗に咲く満開の桜の花のあまりの美しさに、逆に不安憂鬱に陥るが、「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる」と信じることにより、「不安がらせた神秘」から解放され心が和むことから、「美に対する心象が明確なかたちを浮びあがらせてくる、生と死の平衡感覚を描いた作品である」と解説している[2]

『櫻の樹の下には』の末尾の「今こそ俺は、あの櫻の樹の下で酒宴をひらいてゐる村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めさうな気がする」の一節について相馬庸郎は、「庶民」を「芸術的に発見」したのだと位置づけている[3]。これに対し、飛高隆夫は反論して、「生活者の論理に対抗し得る芸術の論理の獲得」を意味していると解説している[4]

吉川将弘は『櫻の樹の下には』が「物語体小説」だということを重視しながら、「俺」が「わかつた」と感じたのは、「生命の誕生と終わりは表裏一体の物である」ということだとし、「誕生はどんなに美しくとも、裏側に壮絶な死を隠しており、死はどんなに汚らわしくとも、美しい誕生に繋がっているということである」と考察しながら[5]、話者の「俺」が「お前」に求めているのは、単なる理解だけでなく、自分と「お前」を重ね合わせようとしているとし[5]、「その思想を、二人で共有しようという願い、共同体を作ろうという願いが、そこにはある」と論考している[5]

参考

欧米には、「薔薇の下で」という、ラテン語でsub rosa、英語ではunder the roseという表現があり、「秘密に」という意味にもなる。梶井が参考にしたかどうかは不明である。

脚注

  1. ^ a b c 鈴木貞美『新潮日本文学アルバム 梶井基次郎』(新潮社、1984年)
  2. ^ 桐山金吾「梶井基次郎『桜の木の下には』の成立とボードレール的世界」(国学院雑誌 1986年12月)
  3. ^ 相馬庸郎「梶井基次郎・序説」(『橋本佳先生還暦記念文集』 1964年5月)
  4. ^ 飛高隆夫「梶井基次郎ノート―湯ヶ島時代の文学」(大妻国文 1971年3月)
  5. ^ a b c 吉川将弘「『桜の樹の下には』論―物語体小説という試み―」(広島大学近代文学研究会、1995年12月)

参考文献

関連項目

外部リンク