檸檬 (小説)
| 檸檬 Lemon |
|
|---|---|
| 著者 | 梶井基次郎 |
| 発行日 | 1931年5月 |
| 発行元 | 武蔵野書院 |
| ジャンル | 短編小説 |
| 国 | |
| 言語 | 日本語 |
| 形態 | 上製本 |
『檸檬』(れもん)は、梶井基次郎の短編小説。梶井の代表的作品である[1]。1925年(大正14年)、中谷孝雄、外村繁らとの同人誌「青空」1月創刊号の巻頭に掲載された。単行本は、梶井の友人である三好達治らの奔走により、梶井の亡くなる1年ほど前の1931年(昭和6年)5月に武蔵野書院より作品集『檸檬』が刊行され、同書には他17編の短編が収録された。現行版は新潮文庫、ちくま文庫その他で重版され続けている。
得体の知れない憂鬱な心情や、ふと抱いたいたずらな感情を、色彩豊かな事物や心象と共に詩的に描いた作品。三高時代の梶井が置かれていた鬱屈した心の状態を背景におき、そこへ一個のレモンと出会ったときの感覚のよろこびを再現している[1]。梶井自身結核に侵されていたこともあり(それにより早世)、梶井の作品には本作のほかにも肺病の主人公が多い。
目次 |
背景 [編集]
『檸檬』のもとになったのは、『瀬山の話』と呼ばれる習作の中に現れる「檸檬」の挿話である。挿話として数回の改稿を経た後、独立した短編として発表された。その後、小林秀雄らに高く評価され、梶井自身が文壇に認められるきっかけの作品となった。梶井自身は同人仲間に宛てた手紙の中でこの作品を、「あまり魂が入っていない」と評していたが、これは逆説的に述べたことで、友人であった淀野隆三によれば、梶井は自信を持って発表したのだという[2]。また、梶井は同じような内容の詩『檸檬の歌』を1922年(大正11年)の日記に綴っている。
作中の「私」がレモンを買った果物屋は、京都市中京区の「八百卯」だが、2009年(平成21年)1月25日に閉店された。また、登場する書店・丸善は当時、三条通・麩屋町付近にあった初代店舗である。丸善・京都店にはレモンを置き去る人があとを絶たなかったといわれる。現在は、河原町通蛸薬師上ルにあった2代目の店舗も2005年(平成17年)10月に閉店された。
あらすじ [編集]
得体の知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。それは肺尖カタルや神経衰弱や借金のせいばかりではなく、いけないのはその不吉な塊だ。好きな音楽や詩にも癒されず、よく通っていた文具書店の丸善も、借金取りに追われる私には重苦しい場所に変化した。友人の下宿を転々とする焦燥の日々のある朝、私は京都の街から街、裏通りを当てもなくさまよい歩いた。
ふと、前から気に入っていた寺町通の果物屋の前で私は足を止め、美しく積まれた果物や野菜を眺めた。珍しく私の好きなレモンが並べてあった。私はレモンを一つ買った。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛ゆるみ、私は街の上で非常に幸福であった。
私は久しぶりに丸善に立ち寄ってみた。しかし憂鬱がまた立ちこめて来て、画本の棚から本を出すのにも力が要った。次から次へと画集を見ても憂鬱な気持は晴れず、積み上げた画集をぼんやり眺めた。私はレモンを思い出し、そこに置いてみた。私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。それをそのままにしておいて私は、なに喰くわぬ顔をして外へ出ていくというアイデアを思い浮かべた。レモンを爆弾に見立てた私は、すたすたとそこから出て、粉葉みじんに大爆発する丸善を愉快に想像しながら、京極を下って行った。
作品評価・解釈 [編集]
小林秀雄は、「これは言ふまでもなく近代知識人の頽廃、或ひは衰弱の表現であるが(尤も今日頽廃或ひは衰弱の苦い味をなめた事のない似而非(エセ)知的作家の充満を、私は一層頽廃或ひは衰弱的現象であると考へてゐる)、この小説の味はいには何等頽廃衰弱を思はせるものがない。切迫した心情が童話の様な生々とした風味をたたへてゐる。頽廃に通有する誇示もない。衰弱の陥り易い虚飾もない。飽くまでも自然であり平常である」[3]と評し、「読者はこの小話で『檸檬』の発見を語られ、作者が古くからもつてゐた『檸檬』を感ずる、或ひは作者がいつまでも失ふまいと思はれる古くならない『檸檬』を感ずる」[3]と述べている。そして、「『檸檬』は氏の観念的焦燥の追求する単純性或ひは自然性の象徴ではない。寧ろ氏自身の資質である」[3]と解説し、作者について、「氏は観念上空疎な過剰や、苛立たしい飛躍を全く知らぬ。或ひは必要とせぬ作家であり、氏の焦燥は知的といふよりも鋭敏な感受性が強ひられた一種の胸苦しさである」[3]と評している。
本作について鈴木貞美は、「鬱屈した心の状態を背景におき、そこへ一個のレモンと出会ったときの感覚のよろこびを再現した」作品だと述べ[1]、「そこに、たかだか一個のレモンを、この世のすべての『善いもの』『美しいもの』に匹敵すると感じる倒錯した心理が浮き彫りになる。そして梶井はレモンを爆弾に見立てることに、自分を圧迫する現実を破砕してしまいたいという夢を刻みつけた」[1]と解説し、日常から脱した感覚のよろこびの世界を描き出していると評している[1]。そして、「束の間の精神の愉悦をリアルに再構成する方法を選びとったとき、梶井基次郎の世界の礎石が築かれた」[1]と解説している。
三島由紀夫は梶井の短編群について、「夜空に尾を引いて没した星のやうに、純粋な、コンパクトな、硬い、個性的独創的な、それ自体十分一ヶの小宇宙を成し得る作品群を残した」[4]と評している。
おもな刊行本 [編集]
- 『檸檬』(武蔵野書院、1931年5月)
- 『檸檬』(新潮文庫、1967年12月10日。改版2003年)
- 『檸檬・冬の日―他九篇』(岩波文庫、1954年4月25日。改版1985年)
- 『梶井基次郎全集 全1巻』(ちくま文庫、1986年8月26日)
- 付録・解説:高橋英夫。
- 収録作品:檸檬、城のある町にて、泥濘、路上、椽の花、過古、雪後、ある心の風景、Kの昇天、冬の日、蒼穹、筧の話、器楽的幻覚、冬の蝿、ある崖上の感情、桜の樹の下には、愛撫、闇の絵巻、交尾、のんきな患者、詩二つ、小さき良心、不幸、卑怯者、大蒜、彷徨、裸像を盗む男、鼠、カッフェー・ラーヴェン、母親、奎吉、矛盾の様な真実、瀬戸内海の夜、帰宅前後、太郎と街、瀬山の話、夕凪橋の狸、貧しい生活より、犬を売る露店、冬の日、汽車 その他、凧、河岸 一幕、攀じ登る男 一幕、栗鼠は篭にはいっている、闇の書、夕焼雲、奇妙な手品師、猫、琴を持った乞食と舞踏人形、海、薬、交尾、雲、籔熊亭、温泉
- 英文版『Oxford Book of Japanese Short Stories (Oxford Books of Prose & Verse) 』(編集:Theodore W. Goossen。訳:Jay Rubin)(Oxford and New York: Oxford University Press,、1997年)
- 収録作品:森鴎外「山椒大夫」(Sansho the Steward)、芥川龍之介「藪の中」(In a Grove)、宮沢賢治「なめとこ山の熊」(The Bears of Nametoko)、横光利一「春は馬車に乗って」(Spring Riding in a Carriage)、川端康成「伊豆の踊子」(The Izu Dancer)、梶井基次郎「檸檬」(Lemon)、坂口安吾「桜の森の満開の下」(In the Forest, Under Cherries in Full Bloom)、中島敦「名人伝」(The Expert)、安部公房「賭」(The Bet)、三島由紀夫「女方」(Onnagata,)、ほか
テレビドラマ化 [編集]
- 東レ サンデーステージ『檸檬』(NTV)
- 名作をテレビで読む「おとなの絵本」 梶井基次郎作『檸檬』(NHK BS2)
- 1995年(平成7年)4月23日 日曜日 23:15 - 23:40
- 中学生日記「檸檬のまちへ」(NHK ETV)
- BUNGO -日本文学シネマ- 梶井基次郎『檸檬』(TBSテレビ)
脚注 [編集]
- ^ a b c d e f 『新潮日本文学アルバム27 梶井基次郎』(新潮社、1985年)
- ^ 淀野隆三「解説」(文庫版『檸檬』)(新潮文庫、1967年。改版2003年)
- ^ a b c d 小林秀雄『梶井基次郎と嘉村礒多』(中央公論、1932年7月号に掲載)
- ^ 三島由紀夫「解説」(『日本の文学34 内田百閒・牧野信一・稲垣足穂』(中央公論社、1970年)
参考文献 [編集]
- 文庫版『檸檬』(付録・解説 淀野隆三)(新潮文庫、1967年。改版2003年)
- 『新潮日本文学アルバム27 梶井基次郎』(新潮社、1985年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第36巻・評論11』(新潮社、2003年)
外部リンク [編集]
- 『檸檬』:新字新仮名 - 青空文庫
- 檸檬(ウィキソース)