檸檬 (小説)

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檸檬
Lemon
著者 梶井基次郎
イラスト 題字:梶井基次郎
発行日 1931年5月15日
発行元 武蔵野書院
ジャンル 短編小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本
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檸檬』(れもん)は、梶井基次郎短編小説。梶井の代表的作品である。得体の知れない憂鬱な心情や、ふと抱いたいたずらな感情を、色彩豊かな事物や心象と共に的に描いた作品。三高時代の梶井が京都に下宿していた時の鬱屈した心理を背景に、一個のレモンと出会ったときの感動や、それを洋書店の書棚の前に置き、鮮やかなレモンイエロー爆弾を仕掛けたつもりで逃走するという空想が描かれている。

1925年(大正14年)、中谷孝雄外村繁らとの同人誌『青空』1月創刊号の巻頭に掲載された。単行本は、梶井の友人である三好達治らの奔走により、梶井の亡くなる1年ほど前の1931年(昭和6年)5月15日に武蔵野書院より刊行され(印刷日は5月10日)、これが梶井の生涯で唯一の出版本となった[1][2]。同書には他に17編の短編が収録されている。文庫版は新潮文庫ちくま文庫その他で刊行されている。翻訳版はアメリカ(英語: Lemon)をはじめ、各国で行われている。

作品成立・背景[編集]

『檸檬』の原型となっているのは、1924年(大正13年)に書かれた習作『瀬山の話』の中の断章「瀬山ナレーション」にある挿話「檸檬」である。この断章の挿話を数回の改稿を経て、その後独立した短編『檸檬』が出来上がった[1]。『瀬山の話』は、「瀬山」という名の主人公の落ち込んだ精神状態が綴られているが、当時梶井は「瀬山極」(ポール・セザンヌをもじったもの)という筆名を使い、大学の劇研究会の雑誌に投稿していた[1][2]。『瀬山の話』は京都に住んでいた三高時代の自身の内面を総決算する作品として試みられたものだが、結末がうまくいかず未完成となり、梶井はその中の一挿話「檸檬」を独立した作品『檸檬』に仕立て直した[1]

梶井は友人の近藤直人に宛てた手紙の中で『檸檬』を、「あまり魂が入つてゐない」と書き[3]、翌年の淀野隆三宛ての手紙にも、「檸檬は僕は当時あまり出すのが乗気でなかつた」と書き送っていて[4]、その文面からは当時の梶井自身は、あまり『檸檬』を評価していなかったことがうかがわれている[5][6]

これについて、梶井の友人であった淀野隆三の見立てでは、これは梶井が逆説的に言ったことで、実は自信を持って発表したと解釈している[2]。なお梶井は、『瀬山の話』に遡る2年前の1922年(大正11年)、一個の檸檬に心を慰められるという内容の文語詩『檸檬の歌』も日記に書きつけている[1][2]。梶井自身結核に侵されていたこともあり(それにより早世)、梶井の作品には『檸檬』のほかにも肺病の主人公が多い。

あらすじ[編集]

「えたいの知れない不吉な塊」が「私」の心を始終圧えつけていた。それはカタル神経衰弱や借金のせいばかりではなく、いけないのはその不吉な塊だと「私」は考えた。好きな音楽や詩にも癒されず、よく通っていた文具書店の丸善も、借金取りに追われる「私」には重苦しい場所に変化した。友人の下宿を転々とする焦燥の日々のある朝、「私」は京都の街から街、裏通りを当てもなくさまよい歩いた。

ふと、前から気に入っていた寺町通の果物屋の前で「私」は足を止め、美しく積まれた果物や野菜を眺めた。珍しく「私」の好きなレモンが並べてあった。「私」はレモンを一つ買った。始終「私」の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛ゆるみ、「私」は街の上で非常に幸福であった。

「私」は久しぶりに丸善に立ち寄ってみた。しかし憂鬱がまた立ちこめて来て、画本の棚から本を出すのにも力が要った。次から次へと画集を見ても憂鬱な気持は晴れず、積み上げた画集をぼんやり眺めた。「私」はレモンを思い出し、そこに置いてみた。「私」にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。見わたすと、そのレモンの色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。それをそのままにしておいて「私」は、なに喰くわぬ顔をして外へ出ていくというアイデアを思い浮かべた。レモンを爆弾に見立てた「私」は、すたすたとそこから出て、粉葉みじんに大爆発する丸善を愉快に想像しながら、京極(新京極通)を下っていった。

作品評価・解釈[編集]

『檸檬』は、梶井の代表作というだけでなく、日本文学の傑作、名品として多くの作家たちに高く評価されているが、同人雑誌初出の当初は注目されておらず、6年後に単行本化され、井上良雄や、その翌年小林秀雄が『檸檬』を本格的に論じて高く評価してから、梶井が文壇に認められるきっかけとなった[2][1]

小林は、『檸檬』という作品は梶井の「観念的焦燥の追求する単純性や自然性の象徴ではない」とし、それは、むしろ梶井自身の「資質」であると指摘し[7]、梶井という作家は、「観念上空疎な過剰や、苛立たしい飛躍を全く知らぬ。或ひは必要とせぬ作家」であり、梶井の「焦燥」は、「知的といふよりも鋭敏な感受性が強ひられた一種の胸苦しさ」だと表現し[7]、『檸檬』を以下のように評している。

これは言ふまでもなく近代知識人の頽廃、或ひは衰弱の表現であるが(尤も今日頽廃或ひは衰弱の苦い味をなめた事のない似而非(エセ)知的作家の充満を、私は一層頽廃或ひは衰弱的現象であると考へてゐる)、この小説の味はいには何等頽廃衰弱を思はせるものがない。切迫した心情が童話の様な生々とした風味をたたへてゐる。頽廃に通有する誇示もない。衰弱の陥り易い虚飾もない。飽くまでも自然であり平常である。読者はこの小話で「檸檬」の発見を語られ、作者が古くからもつてゐた「檸檬」を感ずる、或ひは作者がいつまでも失ふまいと思はれる古くならない「檸檬」を感ずる。

小林秀雄梶井基次郎嘉村礒多[7]

『檸檬』は主人公のおかれている境遇や性格描写などが省かれ、ただ感覚世界だけを描き出しているが、鈴木貞美はこれについて、梶井が原型となった習作『瀬山の話』で「自身の内面の全体を定着しようとする試みに挫折し」、『檸檬』において「束の間の精神の愉悦をリアルに再構成する方法を選びとったとき、梶井基次郎の世界の礎石が築かれた」と考察し[1]、鬱屈した心の状態で一個のレモンに出会ったときの梶井の「感覚のよろこび」について以下のように評している。

そこに、たかだか一個のレモンを、この世のすべての「善いもの」「美しいもの」に匹敵すると感じる倒錯した心理が浮き彫りになる。そして梶井は、レモンを爆弾に見立てることに、自分を圧迫する現実を破砕してしまいたいという夢を刻みつけた。

鈴木貞美「檸檬を書く」[1]

石井和夫は、『檸檬』の原型の『瀬山の話』の中に、「ポオの耳へ十三時を打つて聞かせたのもおそらくはこの輩の悪戯ではなかつたろうか」という一文があることから、『瀬山の話』の「檸檬」と、『檸檬』が、エドガー・アラン・ポーの『鐘楼の悪魔』(悪魔が正午に13時の鐘を鳴らし、美しい町を破壊する話)のモチーフから発想されたのではないかと考察し[6]、そのモチーフが、美しい金閣寺を放火してしまう、三島由紀夫の『金閣寺』にも通底していることを指摘しながら、三島が梶井を「日本には稀少、美が常に否定形によってアナーキーに描かれねばならぬことを先験的に知る」先駆者と見ていたゆえに、梶井を高く評価していたのだと解説している[6]

中島敦牧野信一と共に梶井基次郎を、「夜空に尾を引いて没した星のやうに、純粋な、コンパクトな、硬い、個性的独創的な、それ自体十分一ヶの小宇宙を成し得る作品群を残した」作家と位置づけ[8]、「梶井基次郎くらゐの詩的結晶を成就すれば、立派に現代小説の活路になりうる」[9]、梶井は「感覚的なものと知的なものとを綜合する稀れな詩人的文体を創始した」と考察していた三島由紀夫[10]、『檸檬』を日本の短編の最高のものとし[10]、「一個のレモンが読者の眼の前に放り出されたような、鮮やかな感覚的印象をもって終わる作品」と評している[10]。そして『檸檬』に代表される梶井文学について、以下のように評している。

デカダンスの詩と古典の端正との稀な結合、熱つぽい額と冷たい檸檬との絶妙な取り合はせであつて、その肉感的な理智の結晶ともいふべき作品は、いつまでも新鮮さを保ち、おそらく現代の粗雑な小説の中に置いたら、その新らしさと高貴によつて、ほかの現代文学を忽ち古ぼけた情ないものに見せるであらう。

三島由紀夫「推薦文」[11]

モデルの店と文学碑[編集]

作中の「私」がレモンを買った果物屋は、京都市中京区寺町二条角の「八百卯」だが、2009年(平成21年)1月25日に閉店された。また、登場する書店・丸善は当時、三条麩屋町付近にあった初代店舗である。丸善・京都店にはレモンを置き去る人があとを絶たなかったといわれる。現在は、河原町通蛸薬師上ルにあった2代目の店舗も2005年(平成17年)10月に閉店された。

大阪市西区靭本町の靱公園内には、1981年(昭和56年)に建立された文学碑があり、『檸檬』の一節が刻まれている。

おもな刊行本[編集]

  • 『檸檬』(武蔵野書院、1931年5月15日)
    • 題字:梶井基次郎。総271頁。
    • 収録作品:檸檬(5 - 15頁)、城のある町にて(17 - 62頁)、泥濘(63 - 78頁)、路上(79 - 88頁)、過古(89 - 93頁)、雪後(95 - 111頁)、 ある心の風景(113 - 130頁)、Kの昇天―或はKの溺死(131 - 143頁)、冬の日(144 - 171頁)、櫻の樹の下には(173 - 177頁)、器樂的幻覺(179 - 184頁)、筧の話(185 - 189頁)、 蒼穹(191 - 196頁)、冬の蠅(197 - 217頁)、 ある崖上の感情(219 - 242頁)、愛撫(243 - 249頁)、闇の繪巻(251 - 258頁)、交尾(259 - 271頁)
  • 『檸檬』(新潮文庫、1967年12月10日。改版2003年)
    • カバー装幀:船坂芳助。付録・解説:淀野隆三
    • 収録作品:檸檬、城のある町にて、ある心の風景、Kの昇天、冬の日、蒼穹、筧の話、器楽的幻覚、冬の蝿、桜の樹の下には、愛撫、闇の絵巻、交尾
  • 『檸檬・冬の日―他九篇』(岩波文庫、1954年4月25日。改版1985年)
    • 装幀:精興社。付録・解説:佐々木基一淀野隆三「本書の校訂について」。略年譜。
    • 収録作品:檸檬、城のある町にて、ある心の風景、冬の日、筧の話、冬の蝿、闇の絵巻、交尾、のんきな患者、瀬山の話、温泉、断片
  • 復刻版『檸檬』(日本近代文学館、1974年9月20日)
    • ※ 名著複刻全集シリーズ。収録作品は初版と同じ。
  • 『梶井基次郎全集 全1巻』(ちくま文庫、1986年8月26日)
    • 付録・解説:高橋英夫「存在の一元性を凝視する」。宇野千代「あの梶井基次郎の笑ひ声」。
    • 収録作品:檸檬、城のある町にて、泥濘、路上、椽の花、過古、雪後、ある心の風景、Kの昇天、冬の日、蒼穹、筧の話、器楽的幻覚、冬の蝿、ある崖上の感情、桜の樹の下には、愛撫、闇の絵巻、交尾、のんきな患者、詩二つ、小さき良心、不幸、卑怯者、大蒜、彷徨、裸像を盗む男、鼠、カッフェー・ラーヴェン、母親、奎吉、矛盾の様な真実、瀬戸内海の夜、帰宅前後、太郎と街、瀬山の話、夕凪橋の狸、貧しい生活より、犬を売る露店、冬の日、汽車 その他、凧、河岸 一幕、攀じ登る男 一幕、栗鼠は篭にはいっている、闇の書、夕焼雲、奇妙な手品師、猫、琴を持った乞食と舞踏人形、海、薬、交尾、雲、籔熊亭、温泉
  • 英文版『Oxford Book of Japanese Short Stories (Oxford Books of Prose & Verse) 』(編集:Theodore W. Goossen。訳:Jay Rubin)(Oxford and New York: Oxford University Press,、1997年)

テレビドラマ化[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 鈴木貞美『新潮日本文学アルバム27 梶井基次郎』(新潮社、1985年)36-37頁、90-92頁、104-108頁
  2. ^ a b c d e 淀野隆三「解説」(文庫版『檸檬』)(新潮文庫、1967年。改版2003年)325-349頁
  3. ^ 梶井基次郎「近藤直人への書簡」(大正13年11月12日付)
  4. ^ 梶井基次郎「淀野隆三への書簡」(昭和7年2月6日付)
  5. ^ 『梶井基次郎全集第3巻 書簡・年譜書誌』(筑摩書房、1966年)
  6. ^ a b c 石井和夫「『檸檬』の成立――ポーと梶井基次郎」(福岡女子大学香椎潟、2008年12月)
  7. ^ a b c 小林秀雄梶井基次郎嘉村礒多」(中央公論、1932年7月号に掲載)
  8. ^ 三島由紀夫「解説 牧野信一」(『日本の文学34 内田百牧野信一稲垣足穂』(中央公論社、1970年)。三島由紀夫『作家論』(中央公論社、1970年。中公文庫、1974年。2003年)
  9. ^ 三島由紀夫「現代史としての小説」(毎日新聞夕刊 1962年10月9日 - 10日号に掲載)
  10. ^ a b c 三島由紀夫「文章読本」(婦人公論 1959年1月号に掲載)。『文章読本』(中央公論社、1959年。中公文庫、1973年。改版1995年)
  11. ^ 三島由紀夫「推薦文」(『梶井基次郎全集』内容見本)(筑摩書房、1966年)

参考文献[編集]

外部リンク[編集]