栃尾城

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栃尾城
新潟県
城郭構造 山城
築城主 不明
築城年 室町時代
主な城主 本庄実乃本庄秀綱
廃城年 1610年
遺構 馬場・武者溜り・二ノ丸・竪堀
指定文化財 新潟県史跡[1]
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栃尾城(とちおじょう)は、新潟県長岡市栃尾地域に存在した日本の城。別名・舞鶴城、大野城とも。標高228mの鶴城山に築かれた戦国時代の典型的な山城である。新潟県指定史跡

概要

創設年代は不明だが、室町時代初期~中期と伝えられる。馬蹄型の郭を構成し堅城として有名で、上杉氏の会津転封後も代わって越後に入封した堀秀治の家臣・神子田政友が1万石で入城しているが、1610年に堀氏の没落に伴い廃城となっている。

本庄氏の城であり上杉謙信が幼年~青年期を過ごし、謙信の父・長尾為景が死去した後跡目争いが起こった時の初陣の地として有名。

その後、謙信死後の御館の乱で城主本庄秀綱上杉景虎方につき、三条城神余親綱らと共に上杉景勝に抵抗するが、天正8年(1580年)4月22日に栃尾城は落城。秀綱は会津方面へ逃亡した。

市街地にある諏訪神社の裏手が登城口。うっそうとした森の登山道を登ると馬場・武者溜り・二ノ丸といった郭跡や竪堀の遺構などがそこかしこに残されている。山頂からは視界が開け、栃尾盆地が一望できる。

脚注

  1. ^ 県指定文化財” (PDF). 新潟県 (2012年4月1日). 2013年4月4日閲覧。

関連項目