李桂丹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。遼東半島 (会話 | 投稿記録) による 2016年2月3日 (水) 04:28個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

李 桂丹
Lee Gui-dan
渾名 『空中驍将』[1]
生誕 1913年12月1日
中華民国の旗 中華民国 遼寧省新民県公主屯鎮
死没 (1938-02-18) 1938年2月18日(24歳没)
中華民国の旗 中華民国 中国湖北省武漢市
所属組織 中華民国空軍
軍歴 1933年 - 1938年
最終階級 空軍上尉(死後空軍少校
テンプレートを表示

李 桂丹(り けいたん、1913年12月1日[2]- 1938年2月18日)とは、中華民国空軍軍人遼寧省新民県公主屯鎮出身。満州族。最終階級は上尉(大尉に相当)、死後少校(少佐に相当)。中央航校飛行科卒業(第2期)。撃墜数3。彼自身はエースパイロットではないが、同時期に活躍した高志航劉粋剛楽以琴とともに中国空軍の「四大金剛」と称されている[1] [注釈 1]

生涯

7歳の時に父を失い、以降母の周夫人の手で育てられる[3] 。1925年1月、奉天の成城中学に入学し、29年12月卒業。翌年5月1日、陸軍の中央軍官学校に歩兵科第九期生として入学[4] 。そこでの成績が特に優秀だったため、1932年7月、中央航空学校に第二期生として推薦転学を果たす。この際、エースパイロットとなる劉粋剛董明徳も共に転学している。

中央航校でもその優秀さが教官の高志航により認められ、33年12月の卒業後も教官として留まった。綏遠事件にて偵察任務を受けた事もある。その後航校駆逐組組長を経て[5]、高志航率いる第四大隊の第21中隊へと配属された。1936年8月31日、第21中隊中隊長に就任。

1937年8月13日、台湾松山飛行場より飛来した鹿屋海軍航空隊所属の96式陸攻との空中戦、通称「八一四空戦」に参加し、柳哲生、王文驊と共同で一機を撃墜。続いて10月16日、共同で8機の日本軍機を大破させ、一躍英雄となる。同年11月1日、第四大隊の副大隊長に就任。21日、高志航の戦死を受け、大隊長に就任した。翌年2月、第四大隊は武漢の防空任務を請け負い移転した。18日、爆撃機12機、戦闘機26機が武漢に飛来。李は自ら中隊を率いて交戦し、自身も3機を撃墜するが、戦死した。享年24。

受賞

  • 三星星序獎章[6]
  • 七等雲麾勳章

人物像

冷静沈着で生真面目な性格である一方、豪快な一面もあり、周囲からの信頼も大きかった。中央航校の同期生でエースパイロットの周庭芳は、自身の生涯で最も尊敬する人物の一人として、李の名を挙げている[7]

関連作品

  • 『遠去的飛鷹』:2011年3月、中国・華誼天意影視有限公司製作、愛奇芸湖北総合頻道中国語版放送のTVドラマ。彼をモデルにした『李桂東』(演・郭秋成)が登場する。全30話。

注釈

  1. ^ 李ではなく梁添成や呂基淳を入れる事もある

脚注

  1. ^ a b “空中骁将”李桂丹 中華人民共和国国防部
  2. ^ [1]
  3. ^ 中華民国空軍HP 英烈千秋 李桂丹烈士
  4. ^ [2]
  5. ^ 杜元載主編・国民党中央委員会党史史料編纂委員会『革命人物史 第10集』、中華印刷廠、1972年12月、p126
  6. ^ 空軍英烈中国文化大学データベース
  7. ^ REX 的《天空》 空手入白刃~抗日飛將軍周庭芳先進小傳與著作

参考文献

  • 中山雅洋 『中国的天空(上)沈黙の航空戦史』 大日本絵画、2007年。ISBN 978-4-499-22944-9
軍職
先代
高志航
空軍第4大隊長
第2代:1937.11.21 - 1938.2.18
次代
毛瀛初中国語版