空軍軍官学校

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中華民國空軍軍官學校
R.O.C. Air Force Academy
空軍官校正門前
空軍官校正門前
創立 1932年9月1日
学校種別 国立, 軍学校
学長 朱玉志少将
所在地 中華民国の旗 中華民国高雄市
岡山区介壽西路西首1号
キャンパス 都市
ウェブサイト http://www.cafa.edu.tw/
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空軍軍官学校(くうぐんぐんかんがっこう、R.O.C. Air Force Academy)は、台湾高雄市岡山区に位置する、空軍軍官(将校)を養成する為の中華民国空軍の教育機関(空軍士官学校)。

沿革[編集]

空軍軍官学校は「航空救国」の号令の下、1928年10月10日南京中央軍官学校に設置された航空隊を元とする。同隊は組織の発展に伴い「航空班」「軍政部航空学校」と改名を重ね、1932年9月1日に「中央航空学校」として筧橋中国語版に開校、正式に空軍の士官学校となった。開校後はアメリカ式教練を導入、米軍顧問を招聘し大戦全期に渡って数多くのエースパイロットを輩出した。

1938年に現在の校名となる。国共内戦の影響で遷台し、現在に至る。 2003年に大幅な教育改正がなされ、一般大学を手本としたカリキュラムが組まれた。2011年現在、教官41名、学生610名。

教育目標[編集]

  • 軍人としての気風を作り上げ、武徳・武芸を陶冶し、国防を担うという責任と誇りを培う。
  • 運用系統性における課程設計等、一般大学で求められるものと同様の基礎知識を習得させる。
  • 計画的な「体適能」の訓練課程により、強靭な精神と肉体を生み、揺ぎ無い決心と気力を培う。
  • 校内における規律の取れた団体生活を送ることで、部隊でのチームワークと誇りを培い、軍へのアイディンティティーと忠誠心、軍紀遵守を確立させる。

理念[編集]

一、提倡全人教育,培育術德兼修人才。

二、兼顧理論實務,奠定航空專業地位。

三、推展策略聯盟,落實終身學習管道。

四、符合部隊需求,培育優質建軍幹部。

カリキュラム[編集]

本学での教育は、一般大学での理工科系教育に相当し、全学年4年間にて最低でも130個分の単位を修得する。一年生では教養基礎過程として理工クラスと社会クラスに分けられ、2年生に進級後、理工クラスの者は航空宇宙学科、航空電気学科、航空機械学科のいずれかに、社会クラスの者は航空管制学科に編入される。卒業する事で、工学士および管理学士の資格と空軍少尉の階級が授与される。

空中勤務体力検査に合格した学生は、卒業後、飛行訓練が実施される。

これに不適格となった生徒は、主に司令部での航空機械、通信電子、防空作戦担当などへ進むこととなり、空軍航空技術学校、陸軍砲兵飛弾学校に進学し分科教育を受ける。

合格した生徒は、基本航空理論課程、軍事課程といった専門教育および飛行訓練を97週間(一般大学出身者は105週間)にわたって受け、卒業後少尉任官となる。

組織[編集]

校章の付いたAT-3練習機

一般教学部[編集]

  • 航空宇宙学科
  • 航空電気学科
  • 航空機械学科
  • 航空管制学科

通識教育中心[編集]

  • 数理組
  • 外文組
  • 社科組

年表[編集]

筧橋時代の校門
1950年ごろの軍官学校生徒
月日 事跡
1928年 10月10日
11月
南京中央陸軍軍官学校内に航空隊開設。隊長は張静愚、副隊長は厲汝燕
5期生、6期生および軍官団から有志70名を集うも立地上の問題から訓練休止[1]
1929年 1月1日
2月28日
5月
6月7日
7月2日
12月15日
軍官団営舎の一部を借用
正式開学。入学枠として甲、乙両班設置
速成観察班設置
航空隊、航空班と改称
復成橋前工業学校跡地に移駐
中原大戦激化に伴い班内に航空大隊編成。偵察など支援任務に赴く(~翌4月)
1930年 2月 在外華僑からの寄付によりDH.60英語版6機を導入
1931年 4月1日
7月1日
航空班、中央軍校より独立し軍政部の管轄となる
軍政部航空学校と改名、学生の入学枠として飛行班・機械班設置
1932年 8月31日
9月1日
10月1日
「中央航空学校」と改称、杭州筧橋中国語版に移転
正式に開学。以後、この日を開校記念日とする
政治訓練処設置
1934年 8月1日 南昌飛行場にて初級飛行教育開始
1936年 12月 「通信人員訓練班」を設置(のち独立し空軍航空技術学院となる)
1937年 8月~9月 日中戦争の激化に伴い雲南省昆明の巫家壩飛行場(現昆明巫家壩国際空港、閉鎖)に移転。
7期生、8期生の一部を柳州に異動させ、現地の広西航校を中央航校柳州分校として併合
1937年 7月28日
9月
9月28日
「空軍軍官学校」と改称
基地の保護のため学校管轄の特務営(大隊)を設置
日本海軍航空隊9機、巫家壩飛行場を襲撃。学生戦闘機隊、3機を撃墜し1人の3等飛行兵を捕虜とする
1938年 3月1日 柳州分校を初級班、昆明の本学を高級班、偵察班及び駐伊寧の轟炸班を偵炸班に合併
班拠点は滇東高原衡東県楊林鎮。
1942年 12月 初級班インドに移転、臘河分校となる
1943年 2月 初級班、インドで訓練開始
1944年 12月 偵炸班及び一部の組を除き全校インドに遷駐。
1945年 12月 日本降伏に伴い、杭州への帰還命令が下る(~翌3月移転完了)
1947年 3月 初級、中級班を合併、初級に統一。学生大隊設置
総務科を勤務処と改名
1948年 12月 国共内戦の影響により遷台、現地に落ち着く
1960年 9月14日 空軍史蹟館開館
1962年 3月
7月1日
副校長の官職を設置
修業年数を4年に改正
1989年 11月23日 戦術航法装置を設置
2008年 6月 女性の入学枠を設置

職階[編集]

  • 校長 空軍少将(2006年、中将から変更)
  • 副校長 空軍少将
  • 教育長 空軍上校
  • 政戦主任 空軍上校
  • 飛行指揮部指揮官(副校長兼任) 空軍少将

歴代校長[編集]

歴代 任期 校長姓名 出身 備考
第一代 1928年10月10日—1929年7月2日 張静愚中国語版中将 リヴァプール工学院英語版
第二代 1929年7月2日—1931年6月13日 黄秉衡中国語版中将 陸士10期
第三代 1931年6月13日—1932年8月13日 毛邦初中国語版中将 黄埔3期
第四代 1932年8月31日—1934年4月12日 蒋介石特級上将
第五代 1934年4月12日—1936年2月24日 周至柔中国語版中将 保定8期
第六代 1936年2月24日—1936年8月1日 陳慶雲中将
第七代 1936年8月1日—1937年5月6日 黄光鋭中将
第八代 1937年5月6日—1938年4月1日 陳慶雲中将
第九代 1938年4月1日—1947年10月1日 蒋介石特級上将
第十代 1947年10月1日—1950年4月1日 胡偉克中将 中航1期
第十一代 1950年4月1日—1952年3月1日 毛瀛初中将 中航2期
第十二代 1952年3月1日—1953年10月1日 方朝俊中将
第十三代 1953年10月1日—1954年12月1日 陳有維中将
第十四代 1954年12月1日—1955年9月1日 楊紹廉中将
第十五代 1955年9月1日—1962年2月8日 陳御風中将
第十六代 1962年2月8日—1964年5月16日 李向陽中将
第十七代 1964年5月16日—1967年5月16日 姜獻祥中将
第十八代 1967年5月16日—1968年4月26日 陳漢章中将
第十九代 1968年4月26日—1970年10月16日 畢超峰中将
第二十代 1970年10月16日—1972年6月1日 姚兆元中将
第廿一代 1972年6月1日—1975年8月1日 張麟德中将
第廿二代 1975年8月1日—1977年7月6日 郭汝霖中将 14期
第廿三代 1977年7月6日—1979年8月11日 趙子清中将
第廿四代 1979年8月11日—1981年3月21日 王德輝中将
第廿五代 1981年3月21日—1982年12月1日 陽雲鋼中将
第廿六代 1982年12月1日—1985年2月1日 羅化平中将
第廿七代 1985年2月1日—1986年9月1日 唐 飛中将 32期
第廿八代 1986年9月1日—1989年4月1日 袁行遠中将
第廿九代 1989年4月1日—1990年9月1日 欒 勤中将
第三十代 1990年9月1日—1994年1月1日 夏瀛洲中国語版中将 43期
第卅一代 1994年1月1日—1995年8月1日 陳肇敏中国語版中将 43期
第卅二代 1995年8月1日—1997年1月1日 王文周中将 46期
第卅三代 1997年1月1日—2000年2月1日 陳盛文中将 46期
第卅四代 2000年2月1日—2002年4月30日 任渝生中将 50期
第卅五代 2002年5月1日—2003年4月30日 厳 明中国語版 中将 52期
第卅六代 2003年5月1日—2004年12月31日 彭勝竹中将
第卅七代 2005年1月1日—2006年7月31日 雷玉其中将
第卅八代 2006年8月1日—2006年10月31日 李天翼少将 少将に変更
第卅九代 2006年11月1日—2008年3月15日 廖栄鑫少将
第四十代 2008年3月17日—2009年5月31日 唐齊中少将
第四十一代 2009年6月1日—2011年2月16日 田在勱少将
第四十二代 2011年2月17日—2013年2月28日 柯文安少将
第四十三代 2013年3月1日—現在 朱玉志少将

キャンパス[編集]

  • 3,610筆 / 計584.4971
  • 面積139252.2m²
  • 施設132棟(以上2002年データ)

キャンパス内には格納庫をはじめとした飛行訓練用施設のほか、プール、陸上競技場、テニスコートといった施設も完備されている。また、校門横には空軍の歴史資料館である空軍軍史館がある。

キャンパスの施設には名前の付いたものがあり、「仙逸樓」「中正堂」「志航樓」(日中戦争初期のエース高志航に因む)、生徒たちの営舎として「海文樓」「粋剛樓」「志開樓」「崇誨樓」(それぞれ日中戦争の英雄閻海文中国語版周志開劉粋剛沈崇誨中国語版に因む)の4棟などがある。

スポーツ・サークル・伝統[編集]

主な出身者[編集]

中央航空学校[編集]

1期[編集]

(1929年12月卒業、97名)

2期[編集]

3期[編集]

(1933年12月30日卒業、61名)

4期[編集]

5期[編集]

6期[編集]

(第1班:1936年(民國二十五年)10月10日卒業、1937年(民國二十六年)四月少尉任官 第2班:1937年(民國二十六年)5月1日卒業、計111名)

空軍軍官学校[編集]

7期[編集]

(1937年(民國二十六年)卒業、計153名)

8期[編集]

9期[編集]

(1939年(民國二十八年)7月1日卒業、計168名)

10期[編集]

12期[編集]

14期[編集]

16期[編集]

18期[編集]

26期[編集]

28期[編集]

32期[編集]

43期[編集]

46期[編集]

52期[編集]

54期[編集]

主な教員[編集]

関連施設[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]